岡野雅行 全て サッカー人生ダイジェスト 全プレー集 スピード違反 快足プレー集 野人 ゴール集 俊足フォワード ジョホールバルの歓喜 浦和レッズ ガイナーレ鳥取 サッカー football

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野人岡野雅行。日本史上屈指のスピードを誇る瞬足フォワード。アルゼンチンのカニージャ(カニーヒア)に憧れて長髪をなびかせた。
浅野拓磨や前田大然などと同じスピードタイプのフォワードだった。

横浜市立日吉台西中学校卒業。カズに憧れてブラジル留学を希望するも叶わず、立正大学淞南高校に入学。
不良生徒を集めて島根県ベスト4まで進んだ。
日本大学時代に自らの足が武器になることに気がつき才能が開花。
1994年に浦和レッズに入団した。
ブッフバルト、ルンメニゲ、バイン、福田正博らメンバーとレッズのレベルアップに貢献した。
1995年のインターコンチネンタルカップの加茂ジャパンで日本代表初招集された。
勢い余って副審にぶつかる、自分の出したスルーパスを自分で追いかける1人スルーパス、ゴールに気が付かずファウルをアピールするなど面白いシーンも多いが、実力は確かなものがあった。デサントアディダスマッチで日本代表の初出場をとげた。
1996年に11ゴールとゴールを量産した。
親善試合のウルグアイ戦で日本代表初ゴールを決めた。
前園真聖が全盛期だったアジアカップのUAE大会に招集された。

1997年ワールドカップフランス大会アジア最終予選の第3代表決定戦のイラン戦に延長戦から出場した。岡田監督は悩んだ末にその決定に至った。最終予選初出場のプレッシャーからか岡野劇場と言われるほど決定機を無駄にしたが、中田英寿のミドルシュートのこぼれ球を押し込み、最後はジョホールバルの歓喜の立役者となった。
この時のメンバーは三浦知良、北澤豪、井原正巳、中田英寿、城彰二、川口能活、名波浩らだった。

1998年ワールドカップではクロアチア戦に出場した。
1998年にJリーグでハットトリックを決めた。
コパアメリカに招集された。ボリビア戦が代表の最後となった。
1999年にJ2落ちを経験した。福田の涙のVゴールの中、岡野も涙した。靭帯断絶でも走り続けた姿が印象的だった。

その後は、ヴィッセル神戸、香港リーグ、ガイナーレ鳥取を渡り歩き引退した。

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