御館の乱の舞台・御館と鮫ヶ尾城はいま(空撮あり)

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【ナレーション】
天正6年、越後の龍・上杉謙信が急死しました。
謙信は後継者を決めていなかったため、二人の養子が後継者に名乗りを上げました。
一人は長尾政景(ながおまさかげ)の息子・上杉景勝、もう一人は北条氏康の息子・上杉景虎です。
古くから謙信に仕える家臣や、越後の有力者の多くは景勝を支持し、北条家をはじめ、周辺勢力の多くは景虎を支持しました。

御館は、景虎が拠点とした館で、二重の堀に囲まれた大規模なものでした。
発掘調査で銃弾が見つかっていることから、ここで激しい戦闘があったと考えられます。

謙信の死からまる一年、御館はついに陥落し、景虎はわずかな手勢とともに鮫ヶ尾城へ逃げました。

鮫ヶ尾城には、今も曲輪や堀切が残されています。
発掘調査の結果、焼けた陶磁器、焼けたおにぎりなどが見つかり、城が炎上したことが明らかになりました

御館の陥落から1週間後、鮫ヶ尾城も陥落し、景虎は自刃しました。
御館の乱と呼ばれる上杉家の内乱は、景勝の勝利で幕を閉じました。
北条、武田、蘆名、伊達といった周辺大名を巻き込んだ御館の乱は、その後の情勢に大きな影響を与えることになったのです。

景虎の墓所がどこにあるのが、今も分かっていませんが、鮫ヶ尾城の麓・勝福寺に、景虎の慰霊碑が建てられています。
毎年4月29日に行われる法要には、全国各地の景虎ファンが参列しています。
非業の死を遂げた上杉景虎は、彼を慕う人々の心に生き続けているのです。

【参考】
現地案内板
パンフレット
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