[君を呼んだのに] 忌野清志郎 (1994 LIVE)

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里山の白いスモモの花が二分咲きになったというのに、
ことしもまたこの国にはさみしい春しかこない。

顔をえぐられた雄のジュゴンが白い腹を空に向け母なる沖縄の海に浮かんでいたという。

歳や病で死んだのではない。

殺されたのだ、果てのない欲望に、後先知らずの文明に、この地球でただ一種、節操をわきまえぬイキモノに。ホモ・サピエンスという名の愚昧な生物に。

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「君を呼んだのに」

作詞/作曲:忌野清志郎
初出:「BEAT POPS」RCサクセション 1982.10.25

バイクを飛ばしても どこへも帰れない
バイクを飛ばしても 帰りつづけるだけの
ぼくらは寄り道をしてるんだ

描き上げたばかりの自画像をぼくに
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが見せる
絵の具の匂いに ぼくはただ泣いていたんだ

自動車はカバのように潰れていたし
街中が崩れた

それで君を呼んだのに
それで君を呼んだのに
それで君を呼んだのに
君の愛で間に合わせようとしたのに

親愛なるブロック塀 その向うに意地悪く
ぼくから取り上げたものを
隠したり ひやかしたりは もうしないでくれよ

クスリを飲んで眠れ 副作用で起きて
何を見せびらかそう

それで君を呼んだのに
それで君を呼んだのに
それで君を呼んだのに
それで君を呼んだのに
それで君を呼んだのに
君の愛で間に合わせようとしたのに


***
「副作用で起きて 何を見せびらかそう」
と聴くと、いつも浮かぶ金子光晴の詩があって。
副作用で起きて、さて、何を見せびらかそうと思ったとき、
キヨシロウもなにかの一冊に、もしかしたら、いや、たぶん、
きっとひそかに閉じたであろうその一本の川筋のことを
想ったのじゃないだろうかと...


愛情69

 僕の指先がひろひあげたのは
地面のうへの
まがりくねつた一本の川筋。

 外輪蒸気船が遡る
ミシシッピイのやうに
冒險の魅力にみちた
その川すぢを
僕の目が 辿る。

 落毛よ。季節をよそに
人の知らぬひまに
ふるひ落された葉のやうに
そつと、君からはなれたもの、

 皺寄つたシーツの大雪原に
ゆきくれながら、僕があつめる
もとにはかへすよすがのない
その一すぢを
その二すぢを、

 ふきちらすにはしのびないのだ。
僕らが、どんなにいのちをかけて
愛しあつたか、しつてゐるのは
この髯文字のほかには、ゐない。

 必死に抱きあつたままのふたりが
うへになり、したになり、ころがつて
はてしもしらず辷りこんでいつた傾斜を、そのゆくはてを
落毛が、はなれて眺めてゐた。

 やがてはほどかねばならぬ手や、足が
絲すぢほどのすきまもあらせじと、抱きしめてみても
なほはなればなれなこころゆゑに
一層はげしく抱かなければならなかつた、その顛末を。

 落雷で崩れた宮觀のやうに、
虚空に消えのこる、僕らのむなしい像。
僕も
君も
たがひに追ひ、もつれるようにして、ゐなくなつたあとで、

 落毛よ、君からぬけ落ちたばかりに
君の人生よりも、はるばるとあとまで生きながらへるであろう。それは
しをりにしてはさんで、僕が忘れたままの
黙示録のなかごろの頁のかげに。


****
山頭火 (行乞記より)

忘れようとするその顔の泣いてゐる(夢) 


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