徳川綱吉の母・桂昌院ゆかりのお寺▶︎善峯寺①/寺社巡り・京都市西京区

Описание к видео 徳川綱吉の母・桂昌院ゆかりのお寺▶︎善峯寺①/寺社巡り・京都市西京区

◆善峯寺◆
京都西山の中腹にある善峯寺は、本堂である観音堂をはじめ、多宝塔、釈迦堂、薬師堂など多くの堂塔伽藍を有します。境内3万坪の回遊式庭園は、大正から昭和初期にかけて著名な庭師、七代目小川治兵衛が基礎を築き、その後も随時整備がなされました。
現在は桜と紅葉の名所としても知られ、春にはつつじや牡丹、夏には紫陽花など、境内は四季折々の花や樹木に彩られます。また境内の随所から、京都市街を一望できる雄大な眺望が楽しめます。


〇徳川綱吉と生母桂昌院の寄進〇

徳川綱吉の外祖父本庄氏が当山の薬師如来に一女子を得ることを祈願するとすぐに女の子が生まれ、この子が後に転じて将軍の侍女となり、徳川家光の寵愛を得て綱吉を産み、家光薨去により桂昌院と号されます。桂昌院はこの出生の報恩を謝して、伽藍を改建して諸器什物を寄付し、またしばらく綱吉より寺封(資金補助)が出されました。
貞享4年(1687)綱吉42歳を迎えるにあたり、桂昌院によって「厄除けの鐘」が寄進されました。鐘楼堂は貞享3年(1686)建立され、梵鐘には貞享4年(1687)の銘が記されています。
元禄4年(1691)桂昌院は本庄因幡守を監督役とされて、全山の伽藍を改建されました。元禄10年(1697)綱吉より乙訓郡久世村上里村の200石及び山林420,524坪の寺領朱印が出されました。綱吉以降の徳川歴代将軍は、先例に従い朱印地を下されました。
現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂は、桂昌院によって寄進復興されました。
※ホームページより抜粋

#寺社仏閣 #パワースポット #歴史好き #御朱印 #京都 #Japan #Temple #西国三十三所

Комментарии

Информация по комментариям в разработке