#お墓から見たニッポン

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第2回は、「平家物語」で語り継がれている
建礼門院(1155~1214)の悲劇

●平家にあらずんば人にあらず
父・平清盛が名実ともに武家の頂点に立ち、 「平家にあらずんば人にあらず」と世間にいわしめるほどの権力を握った頃、平徳子はこの世に生を受けた。
●高倉天皇の中宮に~平家のこの世の春
17歳の徳子は、後白河上皇の息子で5歳年下の高倉天皇に嫁ぎ、後の安徳天皇を授かる。
⚫️高倉上皇の崩御~後白河法皇の院政復活へ
治承5年(1181)、高倉上皇が21歳で崩御。後白河法皇の院政復活で、力を失いかけた父・清盛は後白河法皇の中宮として、夫を亡くしたばかりの徳子を送り込もうとした。義父に嫁ぐという荒業でしたが、徳子は拒絶。
 ⚫️父・清盛の死~打倒平家勢力が挙兵
打つ手が無くなった清盛は熱病に倒れ死去。後白河法皇は各地の源氏勢力に勅許を乱発し、打倒平家を画策。平家は官軍から賊軍に転落した。
⚫️ 幼い安徳天皇が目の前で…
追い詰められた平家は元歴2年(1185)、壇ノ浦の戦いで滅亡した。この時、徳子はまだ6歳の息子・安徳天皇が母の時子に抱かれて入水するのを見届け、海に飛び込んだが源氏軍に髪の毛を掴まれ引き上げられた。この時、徳子は30歳。平家一門でたった一人生き残り、京都・大原の地で安徳天皇と平家一族の菩提を弔って余生を過ごしたといわれている。
 
【番組公式HP】 www.tv-osaka.co.jp/sp/ohaka_nippon/
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