大規模「再開発」進む札幌市中心部…取り壊しで“往時のにぎわい”の跡も 未来と過去が交錯する世界 (21/08/15

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再開発が進む札幌市中心部。新しく誕生する建物の姿が次々と明らかになってきました。一方で建物が取り壊されたことにより、かつてにぎわった街並みが、その姿を現しました。

 札幌の街の未来と過去が交錯する不思議な世界です。

 石野 智子 アナウンサー:「JR札幌駅の南口。今あるビルも取り壊して、この区画は丸ごと地下6階、地上35階建ての複合商業施設になるんです」

 札幌市中央区の旧「札幌西武」があった場所には、現在北海道内で最も高い「JRタワー」を超える、高さ200メートルの高層ビルが建てられます。

 一方、ススキノ交差点に面した商業施設「ラフィラ」があった場所には2年後に…。

 石野 智子 アナウンサー:「映画館やホテルが入居するビルが誕生するんです」

 地下には食料品店が入り、吹き抜けの屋外オープンテラスも。

 さらに、狸小路3丁目の「ドン・キホーテ」跡には、水族館が入る高層ビルが建設されます。

 そして、「札幌三越」や「丸井今井札幌本店」が並ぶ南1条通では、2020年ある建物が取り壊されました。かつて大きなにぎわいを見せた建物。再開発でどのように生まれ変わるのでしょうか?

 石野 智子 アナウンサー:「2020年までは、こんな建物だったのを覚えていますか?」

 ファッションビルとして親しまれてきた「イケウチ・ゲート」。2022年には7階建ての複合商業施設として生まれかわります。柱が少なく広々とした空間で、外観は力強く伸びる植物がモチーフ。曲線を大胆に使ったデザインですが、昔ながらのたたずまいも残されているといいます。

 情報誌「O.tone」の編集者で北海道の歴史に詳しい和田 哲さんに聞きました。

 「O.tone」編集者 和田 哲さん:「角がそぎ落とされて昔の面影が少し残されているんですね。古いものと新しいものが両立したデザインになっています」

 再開発後の建物もこれまでと同様、建物の南西の角がそぎ落とされたデザインになっています。実は「イケウチ・ゲート」は伝統ある建物でした。

 「O.tone」編集者 和田 哲さん:「もともと『丸ヨ池内』というデパートでした。今も札幌市にある大型商業施設としては、『丸井今井』に次ぐ老舗です。明治26年に金物屋としてスタートしています」

 1961年の「丸ヨ池内」の初売りの様子です。正月恒例だった行事、初荷が行なわれています。店の前で酒をふるまいトラックにたくさんの商品を載せ、にぎやかに得意先を回りました。

 「O.tone」編集者 和田 哲さん:「昔の店内写真を見ると、他のデパートとちょっと雰囲気が違いますよね。売られているものが鍋とか台所用品とか。金物の売り場が充実していたんですね」

 再開発のため建物が取り壊されると、それまで隠れていた周辺の建物の姿が明かになりました。

 「O.tone」編集者 和田 哲さん:「青いトタン屋根の、近代的な雰囲気の中でかなり異質ですよね?」

 突如姿を現した、古い建物。正面から見るとテナントが入っていて、古い建物には見えません。しかし、高い場所から見おろしてみると…。

 2階建ての細長い建物の全体像が明らかに。トタン屋根には段差があり、いびつな形をしています。この建物の正体は?

 「O.tone」編集者 和田 哲さん:「あの建物はもともと『岩井靴店』だった建物。15年ほど前まで実際にここで靴屋として営業していた。明治39年の地図ですが、『丸ヨ池内』の隣に『岩井』とある」

 1876年創業で、今も「さっぽろ地下街」などで営業する「岩井信六商店」。札幌初の靴の店と言われています。創業者の岩井信六は、クラーク博士の靴を作ったとも言われています。店によるとこちらは昭和初期の建物で、北側にあった別の建物と繋げたため屋根がデコボコになったのだそうです。

 その北側に来てみました。かつてこの場所にあったのは、北海道内で初めてコーヒーやアイスクリームを出したといわれるレストランでした。

 「O.tone」編集者 和田 哲さん:「靴の岩井の北側、我々が今いるところに古い地図では『米風テイ』とある。札幌で2番目にできた洋食レストランだと言われてるんです。実は今も『米風亭』という店があるんですよ」

 当時とは違う場所で現在も営業している「米風亭」。世界のビール60種類がそろうビアホールで、名物はスープのないラーメン「油そば」です。かつてあった店とはどんな繋がりが?

 米風亭 藤巻 由将さん:「母の曽祖父が『米風亭』という店を明治時代やっていて、その名前をいただいた」

 洋食レストランは大正時代に閉店。その後名前が途絶えていましたが、35年前に創業者の親族が復活させました。このように南1条通周辺には歴史のある老舗が数多く並んでいます。その理由は何なのでしょうか?

 「O.tone」編集者 和田 哲さん:「札幌最初の十字路は、この創成橋の東側の交差点だった。小樽市につながる街道で、西の方に街が発展していったんですよね。ですからここが札幌の商業の始まりになっていったんです」

 その歴史ある南1条通が「イケウチ・ゲート」の再開発により大きく生まれ変わろうとしています。かつてのにぎわいが再び訪れるのでしょうか?

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