【戦争証言】大阪大空襲を乗り越えて

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太平洋戦争末期、大阪は50回をこえる空襲によって、約15,000人が犠牲になり、街は焼け野原になった。
大阪では、爆撃機B29が100機以上飛来した空襲を「大空襲」と呼び、1945(昭和20)年3月13日から
終戦前日の8月14日までに、8回の大空襲があった。

明珍昭さんは、1933(昭和8)年生まれ。大阪市生野区に住む、国民学校6年生の男の子だった。
八尾の親せきのところへ疎開していたが、卒業を前に戻ってきたところ、町の雰囲気はずいぶんと変わっていた。
(ピースおおさか証言映像2022より)

 ※証言映像の団体向けDVD貸出について
 https://www.peace-osaka.or.jp/educati...

■大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム「ピースおおさか」
 OSAKA INTERNATIONAL PEACE CENTER (Peace Osaka)
大阪城公園内にある資料館。大阪空襲の犠牲者を追悼し、平和を祈念するとともに、空襲を中心に
大阪の人々の戦争体験に関する資料を展示している。

公式ホームページ http://www.peace-osaka.or.jp
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