「昭和の歌姫100人を歌う」演歌&歌謡曲No.0049内田あかり/好色一代女.浮世絵の街.今夜だけ cover新二郎

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皆様、こんばんは。「昭和の歌姫100人を歌う」No.049です。
今回は『内田あかり』さんです。
内田あかりさんは、1947年10月9日生れの、現在、76歳です。
本名の大形久仁子で地元のジャズ喫茶の歌手として活躍。
その後、16歳でスカウトされ、1966年にTBSの連続テレビ・ドラマ「土曜日の虎」に藤久仁子の名で出演、
1967年東芝レコードより、本名の大形久仁子で「限りある日を愛に生きて」でレコードデビューしました。
1968年に和田弘とマヒナスターズとデュエットし発売した「私って駄目な女ね」が50万枚 のヒット。
しかし、ソロとしてはヒットに恵まれませんでした。
デビュー7年目の1973年、CBSソニーに移籍。酒井政利プロデュースのもと、芸名を「内田あかり」に改名。
衣装制作に山本寛斎、ジャケット画に上村一夫を迎え、大プロモーションをかけた「浮世絵の街」が70万枚[2]の大ヒット。
寛斎デザインによる同曲のキモノ・スタイルの薄いブラウス衣装は、デザイン料込みで120万円。
テレビ等ではノーパンで歌唱したそうです。
その後「浮世絵の街」が映画化された際には主演も務めました。
1974年発売の「献身」は同じタイトルの曲が1967年に大形久仁子名義でシングルリリースされていますが、
これは同一歌手による、全くの同名異曲という、珍しいケースでした。
1989年には奇抜な衣装と妖艶さを全面的に表した「好色一代女」が話題を呼び久々のヒットを記録しました。
同年、この曲は『日本レコード大賞』作詩賞を受賞しています。
それ以後、女優としての活躍が増え、映画・テレビドラマなどが中心でしたが、
1999年に歌手活動を本格的に再開するにあたり、芸名を「内田明里」に改名しました。
その後2011年、元の内田あかりに戻しています。
ディスコグラフティーと共にお聴き頂ければ幸いです。

現在、僕や歌のパートナーのNOBUさんの大切な歌仲間であり大先輩でもある女性が癌と闘っています。
僕達は医師ではないので、彼女に対して出来る事に限りがあります。
そこでNOBUさんと相談して、お百度参りの代わりに、
「昭和の歌姫100人を歌う」と題してNOBUさんはPOPSと歌謡曲、僕はは演歌や歌謡曲を中心に、
昭和デビューの女性ボーカリストの歌を100人カヴァーし、彼女の完治を願いたいと思います。
癌の治療はとても辛いですが、現在の医療はかなり進歩しています。
どうか一日も早く完治しますように。
昭和の歌姫たちの懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。

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