浅井久政

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浅井久政, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1... / CC BY SA 3.0

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#1526年生
#1573年没
浅井久政

浅井 久政(あざい ひさまさ、淺井 久政)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。北近江の戦国大名・浅井氏2代目当主。

大永6年(1526年)、浅井亮政の長男(庶長子の説あり)として誕生。生母は側室・馨庵(近江尼子氏の出。出雲尼子氏はその庶家にあたる)とされる。なお生母について諸説あり、『六角佐々木氏系図略』「浅井過去帳」によれば、六角宗能(親泰)側室・浅井千代鶴とされており、尼子氏は養母とされる。妻は近江豪族・井口経元の娘・小野殿(阿古御料人)。

天文11年(1542年)、父・亮政が死去したため跡を継いだが、勇猛な父とは対照的に武勇に冴えなかったとされる。

亮政は正室との間に生まれた娘である海津殿(久政の異母姉)の婿であった田屋明政(田屋氏は浅井氏庶家)に家督を譲ることを望んでいたとも伝わる。このため、義兄・明政は久政の家督相続を承服せず反乱を起こしており、久政の家督相続は家中に少なからぬ禍根を残す結果となった。その後、久政が当主となってからの浅井家は次第に六角氏の攻勢に押されてついにその配下となってしまった。嫡男に六角義賢の一字「賢」の字を偏諱として受けさせ、賢政(のちの長政)と名乗らせ、さらに賢政の妻に六角氏家臣の平井定武の娘を娶らせるなど、六角氏に対しては徹底した従属的姿勢をとった。

このような久政の弱腰の外交政策に、家臣たちの多くが不満をもつようになったとされる。永禄3年(1560年)に嫡男の賢政が野良田の戦いで六角義賢に大勝したことで浅井氏が六角氏から独立すると、久政は家臣たちにより家督を長政に譲ることを迫られ、いわば強制的に隠居させられることとなった。久政は一時は竹生島に幽閉され、賢政は正妻であった平井定武の娘を六角氏に返し、「賢政」の名も新九郎に戻した。しかしこのクーデター的家督移譲には史料的に不明瞭なところが多く、久政は隠居してもなおも発言力を持ちつづけており、父以来の朝倉氏との友好関係に固執し、新興勢力の織田氏との同盟関係の構築には終始反対しつづけたとされる。

久政が家中に発言力を持った状態で、織田氏と朝倉氏は対立を深めた。両家と同盟関係にあった浅井家はどちらにつくかの決断を迫られたが、久政は強硬に朝倉方につくべきであると主張し、長政が折れる形で義兄でもある信長に反旗を翻すが、数年間の抵抗の末、浅井・朝倉連合は織田氏に敗北する。

天正元年(1573年)、織田軍は一乗谷陥落後、打って返して浅井氏の本城である小谷城を攻撃した。頑強に持ちこたえた小谷城であったが、京極丸を木下秀吉隊に落とされたことにより、久政の籠る小丸は長政の本丸と分断された。木下勢はそのまま小丸を攻撃。最期を悟った久政は井口越前守・脇坂久右衛門らを呼び、切腹するため敵勢を食い止めるように言い渡した(のち討死)。久政は一族の浅井福寿庵(浅井惟安)、舞楽師の森本鶴松大夫と共に盃を傾けた後に切腹した。これを福寿庵が介錯し、次に福寿庵を鶴松大夫が介錯した。享年48。鶴松大夫は「主君と同じ座敷では恐れ多い」と言って庭で自刃し、それを見届けた脇坂久右衛門もすばやく腹を切ったと伝わる。

『浅井三代記』において暗愚とされている久政も、現在再評価が行われている。

浅井・朝倉同盟は久政の父・亮政の代に存在した。亮政は、かつての主家である北近江守護・京極氏の本家筋である南近江守護・六角氏と対立していた際に、朝倉氏との同盟を築き上げた。当時の六角氏は名君・六角定頼を筆頭に日の出の勢いであり、亮政は美濃国や越前国へ幾度も逃亡するなどその優劣の差はその才をもってしても補うことはできなかった。一方、当時の朝倉氏も全盛期であった。その朝倉氏にしても、隣接する加賀や領内の一向一揆問題を抱えており、大勢力である六角氏との直接対立は望むことではない。緩衝地帯として、北近江を手中に収める浅井氏との同盟は理に適ったものあった。両者の利が一致して、朝倉・浅井同盟は築かれたのであろう。ただし、これが同盟であったか否かについては異議がある。

その後、久政の代になり六角氏に従属するが、朝倉孝景・朝倉宗滴が死去した朝倉氏はかつての勢いを失い、同盟の意味が薄まっていったこともあり、久政は六角氏へ乗り換えたのだろうと思われる。これは、この頃の浅井氏は復権をもくろむ京極氏らにたびたび攻撃されていたこともあり、六角氏に臣従して庇護を受けることで、他の勢力を牽制し侵攻を食い止められた。またその際、京極氏に対し優位な立場...

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