2024年9月8日 ヨハネ4:1~3「それを知るとイエスは」-天上の右の座におられるわたしたちの偉大な“軍師”- 新約聖書『ヨハネ福音書の神学』傾聴シリーズ

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今朝の聖書箇所は、[4:1 パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた]という短い言葉で始まります。短い言葉ですが、御子なる神イエス・キリストの約8ヶ月の初期ユダヤ伝道を要約しています。御子なる神イエス・キリストの公生涯は三年半といわれます。それを大まかに概観しますと、三つないし四つの時期に分かれます。⑴初期ユダヤ伝道(ヨハネ2:13-4:3)、⑵ガリラヤ伝道(ヨハネ4:43-7:1)、⑶ベレヤ伝道と後期ユダヤ伝道(ヨハネ7:2-11:57)、⑷最後の一週間(12-19章)。地域は、四国の二倍ほどの広さで、そこを数回巡回伝道されました。
 さて、わたしたちは、ヨハネ福音書の1-3章に傾聴してまいりました。最初に御子なる神イエス・キリストがいかなるお方であるかの紹介(1:1-18)があり、次に洗礼者ヨハネがこのお方の到来の準備の役割を担った(1:19-34)ことを学びました。洗礼者ヨハネは、弟子たちを訓練し、イスラエルの民を悔い改めの信仰と洗礼に導きました。それは、御子なる神イエス・キリストを受け入れる「心の土壌」を整えるためでありました。御子なる神イエス・キリストが公生涯に立たれた時、洗礼者ヨハネの弟子たちを受け継ぎ(1:35-51)、カナの婚礼時にお披露目され(2:1-12)、エルサレムにのぼり「宮きよめ」の出来事等において、古い律法や神殿儀式の時代が過ぎ去り、御霊による新時代が到来することを明らかにされていきました(2:13-25)。
 洗礼者ヨハネは、御子なる神イエス・キリストの登場を受けて、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(1:29)、そして「聖霊によってバプテスマを授ける者」(1:33)と証言しました。さらに、「悔い改めの洗礼運動」に携わっていた弟子たちを、御子なる神イエス・キリストに受け渡していきました(2:35-37)。洗礼者ヨハネの弟子たちは、御子なる神イエス・キリストと共に過ごし、対話していく中で、「ナザレ出身の大工の息子イエス」を「ラビ(先生)、メシヤ(キリスト)、神の子、イスラエルの王」と確信していきました(2:38-52)。
 [4:1 パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた]とあります。ただ[4:2 ─バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが─]と注釈があり、御子なる神イエス・キリストは「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(1:29)、そして「聖霊によってバプテスマを授ける者」(1:33)であられ、その信仰内容である「キリストの、そしてキリストに合わせられた死・葬り・復活」の実体の象徴的表現、また美しい告白形式としての水の洗礼を授けていたのは弟子たちでありました。御子なる神イエス・キリストの「贖罪と御霊の内住」のみわざの完成はまだ未来ではありましたが、過渡期・準備段階として、「新しい神の民、キリストのからだなる教会、聖霊の宮」の苗代が準備されつつありました。それらは、ヨハネ福音書でさまざまな象徴的な表現で示されています。
 [4:1 パリサイ人たちは、…と伝え聞いた]とあります。それは、1:19-25にみられるイスラエル国内にある宗教運動の調査活動において、その問題対象が「洗礼者ヨハネの悔い改めの洗礼運動」から、「御子なる神イエス・キリストの新しい神の民、キリストのからだなる教会、聖霊の宮」 運動にロックオンされたことを意味します。この時期、ヨハネ14-16章にあるように、まだ助け主である御霊なる神が来られていないので、弟子たちにはすべてのことが理解できてはいなかったのですが、神の奥義としての「福音理解」の断片の種が、洗礼者ヨハネにより備えられた「悔い改めた、柔らかい心の土壌」に蒔かれていきました。御子なる神イエス・キリストの「リバイバル運動」の成果は目を見張るものでありました。大きな祝福でありました。
 しかし、[4:1 イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている]状態は、パリサイ人たちには看過できないものでした。このような運動や民衆の動きを大変危険なものと見ていました。ここでパリサイ人に焦点が当てられ、大祭司やサドカイ人、熱心党等の他のグループがはずされていることも注目点です。ここにも、AD30年代の状況とAD90年代の状況のヒントが示唆されています。福音書記者は、「洗礼者ヨハネの悔い改めの洗礼運動」から、「御子なる神イエス・キリストの新しい神の民、キリストのからだなる教会、聖霊の宮」 運動へのパリサイ人の注目を、1世紀末の教会とユダヤ教会堂の状況に重ね合わせているようです。1世紀末の教会とユダヤ教会堂は緊張関係にあり、ユダヤ会堂内に存在する隠れキリシタンやその予備軍、シンパ層は大変危険なものと見られていたのです。ヨハネ福音書記者はその状況を意識しつつ、本福音書を編集してものと思われます。ヨハネ福音書の行間はそのような緊張感に満ちています。
 [4:1 イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている]こと、そして「皆があの方の方に行っています」の評価(3:26)は、いまだ洗礼者ヨハネのもとに留まっていた弟子たちを「洗礼者ヨハネ運動とその弟子たちの運命」を不安にさせました。しかし、洗礼者ヨハネは自分を「花婿の友人」(3:29)に例えて、そのような不安を払拭することに尽力しています。今日の教会でも、何事において移行期には不安があり、無用な軋轢も生まれやすいです。それゆえ洗礼者ヨハネのような考え方のできる人が必要です。自己中心的な人ではなく、主の御心を軸にへりくだれる人が必要です。しかし、パリサイ人たちは異なります。[4:1 イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている]との情報は、洗礼者ヨハネのグループの状況の調査の時に認識され、その後の8ヶ月にわたる調査は、[「洗礼者ヨハネの悔い改めの洗礼運動」は、まだユダヤ教内のひとつの運動として許容できるものであるが、「御子なる神イエス・キリストの新しい神の民、キリストのからだなる教会、聖霊の宮」 運動は、ユダヤ教を「水」とすれば、それを「ブドウ酒」に変えようとするものであり、神殿や律法に根ざすユダヤ教の伝統を、御子なる神イエス・キリストの贖罪と御霊の内住に換骨奪胎してしまう]危険な運動として感知し始めたことでしょう。御子なる神イエス・キリストの運動と教えは、古い皮袋を破る、発酵して膨れ上がる新しいブドウ酒のようであったのです。それは、旧約聖書の約束の真の成就でありましたが、多くのユダヤ教徒には理解しがたいものでありました。
 御子なる神イエス・キリストの弟子たちですら、宮清めのようなことをされていると「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」(2:17)という聖句を思い出し、御子なる神イエス・キリストの運動と教えは、ユダヤ教の神殿と律法の伝統の継承ではなく、古い衣を脱ぎ捨て、新しい衣を身に着けることであるとの直観教育を受けていきます。弟子たちも古い考え方を捨て去る教育課程に置かれていたのです。御子なる神イエス・キリストは、伝道の当初、過越しの祭りの頃にエルサレムに上り、最初になされた注目すべき宮清めの出来事で、「神殿の崩壊とご自身の死と復活」を重ね合わせて(2:19)証しされています。御子なる神イエス・キリストの教育方法は、「最初から本質的なことを語り、そのときはよく分からなくても、御霊が後に、ちょうどよい時に思い出させ、目を開かせてくださる」というものです。今日の説教にもそのようなところがあります。分からないところは、理解させてくださる御霊の照明を祈りましょう。わたしたちも、内住の御霊、真理に目を開かせてくださる御霊に信頼して、最初から最も大切なことを、その本質を躊躇なく証しするものとされましょう。
 [4:1b それを知るとイエスは、…4:3 ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた]とあります。ここから、わたしたちは、御子なる神イエス・キリストの伝道が、「下手な鉄砲、数打てば当たる」といったものでないことを教えられます。また、むやみやたらに「万歳突撃」する戦法でもないと教えられます。[4:1b それを知る]とあります。御子なる神イエス・キリストは、ペテロの特質を知り、ナタナエルの人格を深みから読み取られました。
 御子なる神イエス・キリストは、全知全能の神の属性を保持しておられました。ただ、受肉の期間、それらの使用を御父の許容範囲に制限されていました。公生涯に入られて、8ヶ月間のユダヤ地方での「共生、対話、説得、回心」の伝道活動は大成功でした。洗礼者ヨハネの長年の活動は[マル1:5 ユダヤ地方の全域とエルサレムの住民はみな、ヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた]と言われるほどのものでありました。ある意味で、その弟子と運動を継承・発展させたかたちの「御子なる神イエス・キリストの新しい神の民、キリストのからだなる教会、聖霊の宮」運動は、その端緒であるにも関わらず、新しいスターの登場は[ヨハ3:26 皆があの方のほうに行っています]と、洗礼者ヨハネのブームは「衰え」、御子なる神イエス・キリストの苗代づくりは「盛ん」(3:30)となっていきました。ただ新しいブームの到来というだけでなく、洗礼者ヨハネのシンパ層は根こそぎ、御子なる神イエス・キリストの運動と教えに持っていかれたかたちです。
 [4:1b それを知るとイエスは、…4:3 ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた]のはなぜでしょうか。それは、この熱狂がもたらす危険を察知されたということです。「ヨハ2:25 イエスは、人のうちに何があるかを知っておられ」とありますように、ユダヤ人たちの心の内にあるものを知っておられました。それは、しるしと不思議を伴うメシヤの到来であり、そのお方が植民地支配下にあるこの国をローマ帝国の支配からの独立を勝ち取ることでありました。彼らは、そのようなリーダーを待ち望み、御子なる神イエス・キリストにその可能性があるとみると、彼を担ぎあげようとしました。
 しかし御子なる神イエス・キリストは、[ヨハ2:24 彼らに自分をお任せにならなかった]のです。それは、ローマ帝国に対する反逆であり、御父の「御子なる神イエス・キリストの新しい神の民、キリストのからだなる教会、聖霊の宮」運動を台無しにするものであったからです。AD30年代の宗教指導者たちは、ローマ帝国の支配を受け入れつつ、宗教的自由を得て、経済的な恩恵も享受していました。それゆえ、政治的メシヤ運動で騒動を起こり、そのような自由と恩恵を失うことはするまいと決心していたのです。
 パリサイ人たちは、祭司やレビ人を使い、内偵活動をしていました。パリサイ人たちが[4:1a イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている]と認識したということは、ユダヤ教自治組織レベルで、御子なる神イエス・キリストのユダヤ地方の伝道活動に警戒信号が灯されたということです。[4:1b それを知るとイエスは、…4:3 ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた]というのは、当時のパレスチナ地域が、ユダヤ、サマリヤ、ガリラヤ地方に分かれており、エルサレムから離れたガリラヤ地方では、パリサイ人による監視や妨害活動はゆるいという判断があったでしょう。
(後略)

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