しながわのチカラ 腐蝕銅版画家中林忠良の世界

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白と黒のコントラストが織りなす神秘的な作品。
差し込む光が印象的な作品。
腐蝕銅版画家中林忠良さんは今も、旺盛な創作活動を続けています。
銅版画の中でも腐蝕による技法を中心に据え、独自のモノクローム作品を生み出してきました。
そのキャリアの中で大きな転機が訪れます。
昭和50年から1年間の海外留学で薬剤に対する抵抗力が落ちていた身体が、帰国後腐蝕液や溶剤への急激な接触で健康を害したのです。
李「(中林さんの功績は)版画を制作する環境に警鐘を鳴らし、安全性が保てる制作環境を作ることに尽力したこと。」腐蝕室の扉に掲げられてある「UnknownVoyage」。これは「腐蝕という現象は意のままになるものではない」という戒(いましめ)めなのです。
腐蝕銅版画家中林忠良さん、その作品世界に迫ります。

「腐蝕銅版画家中林忠良の世界」

銅版画の技法は大きくふたつに分かれます。
銅板に直接彫る技法、もうひとつが中林さんのように腐蝕液を使い間接的に彫る技法で、一般的にはエッチングとも呼ばれています。
まず銅板の表面に防蝕剤をほどこし乾燥させます。これは腐蝕液から銅板を守る役割を果たします。そしてニードルという鉄筆で描くと、線の部分だけ銅の表面が露出します。
これを腐蝕液に浸けます。線の部分だけが腐蝕され彫られていきます。腐蝕時間の長さにより、線の太さと深さが決まります。こうした作業を幾度となく繰返し版を仕上げていきます。
腐蝕の終わった銅板にインクをつめます。余分なインクを丁寧に拭き取り、プレス機にかけて紙に刷りとります。
中林「腐蝕液を使うことで思ってもみない効果があらわれる。(腐蝕銅版画は)その効果を想定しながら作る面白さがある。」
16世紀初頭にヨーロッパで誕生した腐蝕銅版画技法。この技法の魅力は、しなやかで繊細な表現です。

中林さんは昭和12年、池上通り沿いの大井山中町で誕生しました。
五反田の幼稚園に通っていたこともあります。
昭和19年、6歳の中林さんは新潟に疎開します。そこで眼にした雪景色は強烈な印象を残し、白と黒の世界へと魅かれていくきっかけとなりました。
中林「雪が(創作の)原点です。冬は白い雪が何もかも隠している。影の所は黒くなっている。雪の風景を懐かしく感じていた。」
中学生の頃から油絵を描いていた中林さん。
東京藝術大学に進み2年生の時、銅版画との運命的な出会いが訪れます。
恩師として師事した駒井哲郎さん。中林さんは銅版画に大きく舵をきります。
中林「銅版画の絵がもっている雰囲気と、駒井先生がもつ精神性の深い世界に魅かれた。」
そして大学助手、講師の時代を通じて恩師と親交を深めました。その頃の作品は人と社会との関係を突き詰めたものでした。

昭和51年、留学から帰国した直後、恩師の悲報がもらされます。当時は誰もが硝酸の腐蝕液を使っていて、恩師が若くして亡くなったのも薬害が影響していると中林さんは語っています。
しかし悲しみに沈む中林さんにも、薬害疾患が襲いかかります。
「ドクターストップのかかった半年間、どこが悪いのか(制作環境を)改良していった。」
中林さんはより安全性の高い腐蝕液の使用を啓蒙したり、換気をどのようにするかなど、健康と安全を守るために努力を重ねます。
李「安全性の保てる制作環境を作ることに尽力したことは、版画界において大きな功績であったと思う。」

中林さんは、詩人金子光晴さんの「すべて腐らないものはない」という言葉に感銘を受け腐蝕にこだわってきました。中林「腐蝕はどういうことなのかを見ようと思い実験した。」
これは版を2時間おきに腐蝕液に浸け刷ることを繰返し、最後は原型が失われるまでの過程を追った試みでした。
中林「『すべてのものは腐る』というのが、作品を創る核になった。」

恩師の死、健康被害のなどを経て、中林さんは新たな作品シリーズを発表します。
「Position」シリーズは材木など身近な素材をコピーして転写する手法で、現実世界における自らの立ち位置を確認する試みです。
「転位」シリーズは長年にわたり継続され、代表作となっていきます。
中林「『転位』というのは位置を動かすという意味。地面の芝草を目の高さに持ち上げてみたら、自分と共生している環境が見えてきて作品に大きなチカラを与えてくれた。」

長野県にある山のアトリエ。中林さんが大型のプレス機が置けるスペースを求め、昭和61年から年数ヶ月、ここで制作を始めるようになりました。大きな銅版画作品を作るようになり、そのためのプレス機が必要となっていたのです。また中林さんは日本の銅版画にふさわしい紙の開発にもチカラを注ぎ、パルプの上に雁皮(がんぴ)という植物繊維をすき合わせた新しい紙を誕生させました。
中林「雁皮(がんぴ)は油脂分を付着しやすい繊維です。作品の繊細な部分をひろい上げるのに適している。」
李「紙の開発から関わってその価値を大きく上げた(版画界における)功績は大きい。」

「転位」のモチーフとなった芝生があります。
中林「ここの芝を刈って地面を再構成したことがある。すると地面が今までと違う感じで語りかけてくる。新しい造形になると感じた。」
そして「転位」シリーズはさらに今日、「光」という着想を得て新たな展開をみせています。これは中林さん自身が東日本大震災の現場に足を運んだことがきっかけでした。

モノトーン作家として知られる中林さんの大変珍しい色彩作品が並びます。山のアトリエ周辺を描いた作品は、医療法人の機関誌に掲載されたもので、医療に関わる人たちに安心とやすらぎを与え、中林作品の更なる魅力となっています。
中林さんは新たな時代を迎え、こだわりの腐蝕というテーマに回帰しています。

腐蝕シリーズ第1作目です。
李「単なる回顧ではなくある種の自分の人生に対する覚悟でもあり、中林さん自身が作品の中に登場している感じを初めて受けました。」
中林「真正面に腐蝕に向かい作品を出したことは今までなかった。腐蝕そのものがどのような作品に展開できるのか挑んでみようと思った。日本ではまだ馴染みのある技法ではないが、美術作品として銅版画が占める美の世界を理解して楽しんでほしい。」

腐蝕という大海原へ・・・
中林忠良さんの未知なる旅路は続けられています。

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