No.617_城跡巡り 一宮城址(愛知県一宮市)

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2024年6月30日(日)
一宮城(いちのみやじょう)
所 在:愛知県一宮市本町3丁目11
35.3016434, 136.8018349
駐車場:なし
別 名:なし

⚫︎尾張の一の宮、真清田神社の神官関十郎左衛門が、神社と社領を守るために、築いたのがこの城で、東西およそ50m、南北90mの平城である。中世の神社や寺院が広大な領地を守り、あるいは宗教上の理由から、武士に対抗するため、それぞれ武力を備えた例はたいへん多い。十郎左衛門の子小十郎長安は、信長や秀吉に仕えたが、天正12年(1584)、長久手の合戦の時、池田恒興らと共に討死し、その後、同18年に廃城となった。四方に堀と土塁を巡らした居館城であったという。
 現在は、市街の中心地となっていてみるべき遺構はない。
(日本城郭大系9 308ページ)

⚫︎一宮市新柳通三丁目から人形町ニ丁目あたりにあり、旧町名城屋敷、現在の一宮郵便局付近で「一宮城址」の碑が建てられいる。また城址の近くに「城崎通り」の町名も残っている。
 城主の関氏は代々真清田神社の神主だったが、社領を守るため武備を持つことになり、十郎左衛門が築城したものといわれる。十郎左衛門は織田信長に仕えて戦功あり、のち秀吉に仕えたが、天正12年(1584)長久手の戦いに一族とともに討死した。以降しばらく織田信雄の家臣不破源六広綱の域となったが、天正18年広綱が去って、ついに廃城となった。
 当時の規模は、東西28間(約50m)、南北50間(90m)、四方に堀がめぐらされていたという。
(日本城郭全集7 26ページより)

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