【日本の城】三河国安祥城(安城城) 令和6年(2024) 晩夏

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2024年の7月中旬、愛知県安城市にある安祥城址を訪れました。

室町時代の永享年間(1429~1441)、
志貴荘の地頭・和田親平(わだちかひら)によって築城されたと伝わります。
文明8年(1476)頃に岩津城の松平信光(まつだいらのぶみつ)が安城城を奪い取ったと伝わり、
その後、信光の子の松平親忠(まつだいらちかただ)が城主となったようです。

4代・松平清康(まつだいらきよやす・徳川家康の祖父)が本拠地を岡崎に移しますが、
天文4年(1535)に清康が家臣に暗殺されると、
尾張の織田信秀(おだのぶひで・織田信長の父)が安城城を攻め取り、
松平・今川方と織田方の間で焼く10年間、3度にわたる安城合戦が繰りひろげられ、
松平方の本多忠豊(ほんだただとよ・本多忠勝の祖父)や
本多忠高(ほんだただたか・本多忠勝の父)が討死にしました。

永禄3年(1560)の桶狭間の戦い後に松平家(徳川家)の勢力が東に拡大していく中で、
安祥城は廃城になったとされるようですが、
天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いで改修されたとも考えられるようです。

現在、城址は安祥城址公園として整備されていますが、
本丸と二の丸の縄張りは残っており、本丸に大乗寺、二の丸に東尾八幡社が建っています。
城の南は現在も田圃が広がっており、
南東から城址を見ると田園の中に本丸と二の丸が浮かんでいるように見え、
往時は浮城と呼ばれたのがよく分かります。
本丸の西面に切岸の遺構があるようですが、盛夏の為、
切岸なのか自然の塁壁なのかよく分かりませんでした。

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