行方不明になり死亡認定…しかし北朝鮮で生きていた男性 『寺越事件』真相は 寺越武志さん一時帰国から20年

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59年前に志賀町から漁に出て行方不明となり、その後、北朝鮮で生きていた寺越武志さん。寺越さんが北朝鮮から一時帰国したのが20年前の10月3日です。
いわゆる「寺越事件」。真相究明を願う男性を取材しました。

寺越昭男さん:
「あっちの岸壁くらいかな、多分あの日は本当に風もなくて、きょうみたいに暑くて。声をあげて早20年経ったんだなって、そういう思いはあります」

寺越昭男さん72歳。59年前の5月、この港から漁に出た父親たち3人が突如、行方不明になりました。
乗船していたのは、寺越昭二さん、おじの外雄さん、そしていとこの武志さん。地元の漁協や海上保安庁が捜索しましたが手がかりはなく、死亡したと認定されました。

しかし24年後、一通の手紙が届きます。差出人はおじの外雄さん。昭二さんは亡くなったものの、いとこの武志さんと北朝鮮で暮らしているというのです。
そして2002年10月3日。

寺越武志さん:
「うれしい気持ちで飛行機に乗っていることだけは伝えます」

39年ぶりに武志さんが日本に一時帰国しました。
なぜ北朝鮮で暮らしていたのか…。武志さんは朝鮮語でこう説明しました。

武志さん(朝鮮語):
「高浜から船で行って、何かがあって、それで共和国の清津の水産事務所で働いている船員に助けられ、そこで小学校を卒業して亀城で仕事をするようになった」

これは「拉致ではない」。本人がそう話していることが「寺越事件」の特徴です。
武志さんの母、友枝さんは…

母 友枝さん:
「本当に武志が助けてもらったと言うから、私は助けてもらったって息子を信じるしかない」

しかし、昭男さんはその言葉を信じられませんでした。
当時、3人が乗っていた船。故障などはなく、何かにぶつかった跡がありました。この船が見つかったのは港から7キロの沖合、日本の領海内です。一方、武志さんたちを助けたとする北朝鮮の船はそこから800キロも離れた清津から来たというのです。

昭男さん:
「声を上げるにつきましてだいぶ悩みました。でも今、声を上げないとやっぱりこのままこの事件はうやむやになってしまって泣き寝入りになるのではないかと」

武志さんが一時帰国している中、昭男さんは2人の弟と共に国に真相究明を求めました。しかし、武志さんは何も語ることなく北朝鮮に戻りました。

昭男さんの弟 北野政男さん:
「武志が一時帰国できた、これから少しはいい方へ向かうのではないかという希望は持っていたんですけど、残念なことに未だそれは実現されてないのかなと」

昭男さんの弟 内田美津夫さん:
「(武志さんが)一時帰国しました。そのあと結果として20年間1回も帰ってくることはできなかった。残酷なことだと思います」

あれから20年。昭男さんはすでに70歳を超え、武志さんの母、友枝さんは90歳を過ぎました。

昭男さん:
「生きている間に(真相が)分かってほしい。拉致被害者も亡くなって、被害者の家族も亡くなってしまったら本当に誰も声を上げる人がいなくなってしまう。『拉致問題なんてものがあったのか』ということにならないように、本当に日本の政府には頑張ってもらいたい」

1日も早い真相究明を…。残された時間はわずかです。

石川さんLiveNewsイット https://www.ishikawa-tv.com/minnano_n...
(2022年10月3日放送)
#拉致問題
#北朝鮮
#寺越事件

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