第3回 京都大学 − 稲盛財団合同京都賞シンポジウム [美術分野]「写真の現在/遺された物たちの今を撮る」石内 都 2016年7月10日

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第3回 京都大学 − 稲盛財団合同京都賞シンポジウム
http://kuip.hq.kyoto-u.ac.jp/
https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/opencourse/158
2016年7月10日

[美術分野]
石内 都 (ISHIUCHI Miyako)
写真家

講演テーマ
「写真の現在/遺された物たちの今を撮る」

写真は目の前にある現在する風景や人物や事物を記録するために発明された。

印画紙の上に写された事柄すべてはそれを写した人だけでなく、そこにいなかった多くの人達の為に存在し、目にしたことのない、行ったことのない、見知らぬ世界と出合うことの出来る特別の装置でもあった。写真に写しとられた対象はそれら現物の情報をはるかに越え、限りないイメージに向けて放たれたひとつの光になっていた。

写真はそんな幻想をふまえながらも時代と共に情報の多種多様な中で大きく変化し、今や写真に写されたものが真実であると思う人はほとんどいない。写真は世界を四角いフレームで切りとり、操作し、捏造し、誘導する画像となり、一見みて来たようなリアリティーが、創作するには最適なメディウムとして、その特性を把握すれば何でも出来るアートの表現となったのである。

私は2000年から遺されたもの達の撮影をしている。亡くなった人が生前、身につけていた下着や衣服、装飾品など、それを使っていた人がいなくなってもなお遺されている物たち。その最たる遺品が「ひろしま」である。

1945年8月6日から行方不明になっている少女が着ていたブラウスがある。そのブラウスを写真に撮ることによって、記録でもなく、真実でもなく、私が目の前にしている現実として、70年間の時間をまとった衣服として、何よりも行方不明の彼女がいつ帰ってきてもいいように、美しくととのえ、仕立ておろしの時に着た、うきうきした気分を創り出す。そして毎年新しく遺品が広島の原爆資料館に寄贈されている事実を知る人はすくない。あの日からどれほどの変化があったのだろうか。今年も又、世界に向けて「ひろしま」を発信する。

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