大湯環状列石 1

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大湯環状列石は、鹿角市十和田大湯字野中堂字万座に所在する2つの環状列石(野中堂環状列石、万座環状列石)を主体とする縄文時代後期(約4,000年前)の大規模な遺跡です。

大湯環状列石の発見は昭和 6 年 4 月で す。遺跡が所在する中通台地上に水田 をつくる計画が立ち、大湯安久谷川から 山伝いに用水路を建設していたところ、 野中堂環状列石の一部が検出された。同 年 6 月「大湯村外二ヶ村耕地整理組合」 の会長であった諏訪富多は、秋田県史蹟 名勝調査委員長に宛てた『先住民遺蹟調 査申請書』に環状列石の発見の報告と、遺跡の調査を依頼しています。この依頼を 受け、同年 7 月調査員であった武藤一郎 が遺跡の調査を行い、この時の調査につ いては同年 12 月刊行の『秋田県考古会会 誌』の「鹿角郡大湯町に於ける遺跡の研 究」の中で報告しています
昭和 8 年 3 月には諏訪富多、高木新助、 浅井小魚を中心に大湯環状列石の調査と 保護を目的とした「大湯郷土研究会」が 発足されて、また当時大湯町周辺の遺跡 を精力的に踏査していた浅井小魚らが秋 田県史蹟名勝調査会宛に遺跡の再調査依 頼をしたことで、昭和8年5月5日に武 藤一郎が遺跡の再調査を行い、9 日には 郷土研究史家であった深沢多市が視察を行いました。22 日には浅井の熱心な調査要請と深沢の調査報告を受け、東北帝国大学 の喜田貞吉が遺跡の視察を行っています。喜田は全国に類例がなく更なる調査が必要であるとして遺跡の重要性を説き、遺跡に「中通遺蹟」と仮称をつけました。しかし、社会の情勢不安などにより遺跡の発掘調査はなかなか実施できない状況だったことから、昭和 12(1937)年に大 湯郷土研究会は石標を野中堂環状列石の北西側に設置し遺跡の保存に努めました。石標は現在移設され、大 湯ストーンサークル館から遺跡に向かう 入口で見ることができます。

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