【合戦解説】甲山城の戦い 尼子 vs 山内 〜 反乱を起こした塩冶興久が備後の山内家に逃れている事を知り尼子経久は兵を差し向ける 〜 <毛利⑩>

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<毛利シリーズ⑩話>

時は戦国時代 中期

享禄元年(1528)12月 周防 長門をはじめとする7カ国の守護職を努めた太守 大内義興がこの世を去った。
その報せを受けた尼子経久は この機を逃すまいと石見や備後への侵攻を開始する。
石見攻めを託された 経久の三男 塩冶興久は 赤穴隊 石見の小笠原や高橋の隊を率い、大内の資金源の一つ 石見銀山の制圧に取り掛かるも大内軍の必死の抵抗を受け銀山制圧に難航する。

その間 大内派の安芸国衆 毛利元就が動いた。
亡き大内義興 その跡を継いだ大内義隆から高橋攻めの大義を得ると、主不在の手薄な高橋領へ侵攻した。
安芸や備後の国衆から加勢を得た毛利軍は およそ半年をかけ 高橋領を制圧させ、尼子の石見侵攻を南から牽制した。
毛利の北進を受け高橋や小笠原といった隊を失った塩冶興久は 終に石見侵攻を諦め出雲に撤退となった。

これまでの倍以上の領土を得た毛利元就であったが その統治に時がかかると分かり、尼子や武田の目を毛利に向けさせないため 両家に離間策を講じた。
その策は見事に成功し、杵築大社をはじめとする寺社の後押しを受けた塩冶興久が父である尼子経久に反旗を翻したのだ。
また 武田家では 当主 武田光和と 重臣である高松城主 熊谷信直との仲違いに成功し、熊谷討伐に動いた武田光和を跳ね返した熊谷信直は 毛利家臣として生きていくことを決めた。
元就の謀略により領土を切り崩されたことをまだ知らない武田光和は、居城 銀山城で今後の対策を練っていた・・・


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※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2023年時点での歴史資料を元に作成しております
※イラスト提供:史環 殿

#戦国時代 #合戦 #歴史

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