3分でわかるジョン・マッカーシー【LISP言語の設計者】

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アメリカの計算機科学者であり、LISP言語の設計者として知られるジョン・マッカーシーを紹介します。

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こんにちは。人からわかる3分技術史。
今日はジョン・マッカーシーについて勉強していきましょう。

ジョン・マッカーシー。1927年生まれ。アメリカの計算機科学者であり、LISP言語の設計者として知られます。

マッカーシーは、29代大統領カルビン・クーリッジ時代のアメリカ合衆国、マサチューセッツ州のボストンに生まれました。父親がアイルランド人、母親がユダヤ系リトアニア人の移民であり、世界恐慌のさなかであったため、幼いマッカーシーは住居を転々として過ごしました。
マッカーシーは幼い頃より数学の才能を発揮しました。
1944年にカリフォルニア工科大学に入学。ここでも数学の優れた成果を挙げますが、体育の授業に行かなかったため停学処分となります。
そのため陸軍で短い兵役を務めたのち、大学への復帰を許され、1948年に卒業します。
この時期にマッカーシーは、ジョン・フォン・ノイマンの講演「アナログ網とオートマトンの論理」を聞きました。オートマトンとは、状態と動作を抽象化した数学的モデルです。マッカーシーはその研究に刺激を受け、フォン・ノイマンの薫陶を受けたと言われます。
マッカーシーはオートマトンの研究を進めるため、プリンストン大学の大学院に進学。ソロモン・レフシェッツの指導を受け、1951年に数学の博士号を取得しました。
続いてマッカーシーは、クロード・シャノンと知り合います。
シャノンは情報理論の立役者であり、チェス・プログラムなど、オートマトン研究において先駆的な成果を挙げていました。マッカーシーはシャノンのもとで、同じくシャノンの教え子であったマーヴィン・ミンスキーとともに、オートマトン研究を進めることとなります。
マッカーシーは、コンピューターによるオートマトンの実装は、人間が抱える様々な問題の解決に使えるのではないかと考えました。マッカーシーはそのような概念を「人工知能」と名づけ、1956年に研究者たちを集めて会議を行いました。その会議は「ダートマス会議」と呼ばれ、シャノン、ミンスキー、ネイサン・ロチェスター、ハーバート・サイモン、アレン・ニューウェルらが参加。ダートマス会議は現在では、人工知能研究分野を確立させた伝説的な会議として知られています。
その後、マッカーシーはFORTRAN言語を用いて人工知能研究を進めました。しかしFORTRANはリスト処理や再起処理といった数学的な表現が困難だったことから、マッカーシーは新しいプログラミング言語の開発を試みはじめます。
そこでマッカーシーは数学者アロンゾ・チャーチのラムダ計算を参考にし、数学的な表現を得意とする関数型言語、LISPを設計します。
間も無くして教え子のスティーブ・ラッセルがLISPを実装。LISPはリスト処理や再起処理だけでなく、ガベージ・コレクションやeval、動的型付けなど、のちの様々なプログラミング言語の先駆けとなる機能を初めて実現していました。
その後のマッカーシーは、Project MAC、スタンフォード人工知能研究所などの立ち上げに関わり、人工知能やコンピューティングの指導的な研究者として活動を続けました。

2011年、マッカーシーは84歳で亡くなります。現在においても、人工知能研究の創始者の一人として、また、LISP言語の設計者として知られています。

以上!

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