スズカマンボ

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スズカマンボ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=4... / CC BY SA 3.0

#2001年生_(競走馬)
#2015年没
#サラブレッド
#日本生産の競走馬
#日本調教の競走馬
#日本供用種牡馬
スズカマンボとは日本の競走馬、種牡馬である。
おもな勝鞍は2005年の天皇賞(春)、2004年の朝日チャレンジカップ。
近親にはダンスパートナー、ダンスインザダーク、ダンスインザムードなどがいる。
スズカマンボは2003年8月、札幌でデビューした。
新馬戦は4着だったが、2戦目の未勝利戦で勝ち上がった。
3戦目の札幌2歳ステークスで重賞に初挑戦したが9着に敗れた。
それでも、スズカマンボは続く萩ステークス(オープン特別)をレコードタイムで勝利し、暮れの2歳牡馬チャンピオン決定戦・朝日杯フューチュリティステークスに出走した。
しかし、レースでは直線で失速し13着と大敗した。
2004年、スズカマンボの春初戦は年明けの京成杯だったが4着に敗れた。
それでも、皐月賞トライアルの若葉ステークスで2着に入り、スズカマンボは皐月賞の優先出走権を得た。
しかし、本番の皐月賞では終始後方のまま17着と大敗を喫した。
このままだと収得賞金が足りず日本ダービー出走が危うくなったスズカマンボは次走に京都新聞杯を選択。
このレースで2着に入ったスズカマンボは収得賞金を増やし、ダービー出走に漕ぎ着けた。
ダービー本番では単勝15番人気と低評価だったが、5着と健闘した。
休養後、スズカマンボの秋初戦は初の古馬相手となった朝日チャレンジカップ。
1番人気に推されたこのレースで見事に勝利、重賞初制覇を遂げるとともに菊花賞へ向けて好スタートを切った。
しかし、本番の菊花賞では後方待機から猛然と追い込んだが6着に敗れた。
菊花賞後、スズカマンボは鳴尾記念に出走。
1番人気に推されたが2着に終わり、この年を終えている。
2005年、4歳になり古馬になったスズカマンボの初戦は天皇賞(春)の最終ステップレース・大阪-ハンブルクカップ(オープン特別)だったが、ビッグゴールドに逃げ切りを許し、3着に敗れた。
この敗戦で本番の天皇賞(春)ではスズカマンボは13番人気と低評価だった。
だが、レースでは道中中団待機から直線で鋭く伸び、先頭で懸命に粘っていたビッグゴールドを豪快に差し切って優勝、GIを初制覇した。
GI馬になったスズカマンボだったが、秋になると一転して不調に陥り、天皇賞(秋)13着、ジャパンカップ9着、有馬記念10着と掲示板すら載れずに終わった。
2006年、5歳になったスズカマンボは天皇賞(春)連覇を目指して、初戦の大阪杯に出走。
このレースで3着に入り、復活の狼煙をあげたかに見えたが、レース後に左後繋靭帯不全断裂を発症。
競走能力喪失と診断されたため、引退した。
以下の内容は、netkeiba.comおよびJBISサーチに基づく。
引退後は、新ひだか町のアロースタッドで種牡馬として繋養され、2008年に初年度産駒が誕生した。
2010年に産駒がデビューし、地方競馬ではホクトが6月1日門別競馬第7競走ルーキーチャレンジで、産駒初勝利を挙げた。
中央競馬ではマルタカシクレノンが6月19日福島競馬第5競走2歳新馬で、産駒の初勝利をあげている。
2013年にはメイショウマンボがフィリーズレビューを勝ち産駒のJRA重賞初制覇を飾ると、同馬が優駿牝馬(オークス)も制し、産駒のGI級競走初勝利となった。
種付け数は初年度に96頭を集めたが、2011年には34頭に減少した。
産駒が活躍するようになると種付け申し込みが急増したが、体調悪化のため種付け数を制限せざるを得ず、交配数は2013年に56頭、2014年に80頭と最後まで伸びなかった。
2015年2月20日、心不全により死亡。
14歳。
種牡馬としては交配数が制限されていたうえ早世したため、年間交配数が100頭を超える人気種牡馬に比べると産駒数は少なかったが、距離や芝ダートをあまり問わず、幅広い活躍を見せた。
2020年現在、産駒がJRAの芝、ダート、障害の3カテゴリーのG1を制したのは、本馬の他にはティンバーカントリーのみである(2018年にJBC3競走が京都競馬場で開催された際の記録を含める場合はディープインパクトも該当する)。
強調表示はGI/JpnI/JGI競走。
*は地方競馬の主催者別重賞

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