KATO DD51 暖地型 20系客車寝台特急あかつき

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あかつきは、国鉄、分割民営化後はJR西日本およびJR九州が主に京都~新大阪~長崎・佐世保間を、東海道本線・山陽本線・鹿児島本線・長崎本線・佐世保線経由で運行していた寝台特別急行列車です。
特急「あかつき」は、京阪神と九州を結ぶ夜行特急(関西ブルートレイン)の祖であり、最後まで残った列車でもありました。1965年10月に新大阪~西鹿児島(現在の鹿児島中央)・長崎間の寝台特急列車として運行を開始。設定当初より東海道新幹線との乗り継ぎで東京と九州を結ぶ連携を持つ列車で、使用車両・設定種別ともに「関西ブルートレイン」のルーツと言われています。
 1968年10月に佐世保駅発着列車が増発。2往復となり、これ以降1970年代中ごろまで非電化区間を有した鹿児島本線と長崎本線および佐世保線を直通する夜行客車特急の総称名として用いられました。
 以降、1972年10月に1往復増発、1973年10月には6往復に増発、さらに1974年4月に増発して7往復が運行され、この時が「あかつき」の本数面での最盛期でした。
 1975年3月、山陽新幹線の全通により、「あかつき」のうち西鹿児島・熊本発着列車を「明星」として系統分割し、京阪神対九州西部の列車として、長崎・佐世保、長崎、佐世保発着各1往復の計3往復となりました。また、運行開始以降新大阪駅発着が基本となっていた関西ブルトレ群の中で、初めて大阪駅発着列車の設定も行われ、この改正で下りの長崎・佐世保行き、上りの佐世保始発の列車に関しては大阪発着となりました。また、一部を本州直通ながら筑豊本線経由とし、1985年まで同線経由で運行をしたことから、同線では国鉄時代最後の優等列車となりました。
 1978年10月に2往復に、国鉄分割民営化直前の1986年11月1日には1往復に削減されましたが、京阪神対長崎県の優等列車としての面目を保っていました。
 2000年3月に佐世保駅発着列車が廃止されて「彗星」と併結運行されることになりましたが、2005年10月からは「彗星」の廃止により「なは」との併結が行われるようになったものの、2008年3月15日に廃止されました。これにより京阪神対九州間のブルートレインおよび夜行定期列車は1965年の「あかつき」運行開始以来、42年半の歴史に終止符を打ちました。同時に長崎本線に乗り入れる夜行列車およびJR他社直通列車が消滅し、JR旅客他社の車両が定期列車でJR九州管内の在来線に乗り入れるのも終了しました。
 列車名は、日の出・明け方を意味する暁に由来しています。

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