3分でわかる豊田佐吉【トヨタグループの創始者】

Описание к видео 3分でわかる豊田佐吉【トヨタグループの創始者】

明治の発明家であり、トヨタグループの創始者として知られる豊田佐吉を紹介します。

***

こんにちは。人からわかる3分技術史。
今日は豊田佐吉について勉強していきましょう。

豊田佐吉。1867年生まれ。明治の発明家であり、トヨタグループの創始者として知られます。

佐吉は、大政奉還を間近に控えた慶応3年に、現在の静岡県にあたる遠江国の山口村に生まれました。
父親の伊吉は大工でした。維新の混乱も醒めぬなかで農村は貧しく、息子の佐吉は小学校を出てすぐに、父親の大工仕事を手伝うこととなりました。
佐吉の転機となったのは19歳のおり、父親にしたがって隣村の小学校に出向いたことでした。
当時は近代化のなかで海外から諸々の機械が輸入されており、また、国内でも1873年には臥雲辰致がガラ紡機を発明するなど、機械化の波が訪れ始めていました。佐吉は小学校の先生からそれらの話を聞き、自身も発明家を志すようになったと言われます。
佐吉は大工でありましたが、本格的な機械の知識はなく、はじめ考案した機械は空想の域を出ないものだったと言われます。
しかし、佐吉は研究を進め、1890年、23歳の頃に豊田式木製人力織機を完成させます。
佐吉が発明した豊田式木製人力織機は、従来の手織りに比べて1.5倍ほどの生産性を持ち、品質も向上したと言われます。構造としては、1733年にジョン・ケイが発明し、日本にも輸入されていたバッタン機を改良したものでした。
しかし、当時は不況の最中であったため、豊田式木製人力織機はそれほど普及しませんでした。続いて佐吉は、豊田式糸繰返機を発明。これは成功し、経済的に余裕ができた佐吉は、人力織機を改良し、蒸気機関を用いた動力織機の開発をはじめます。
そして1896年に完成したのが豊田式汽力織機です。手織りの20倍の生産性を持っていたと言われます。
すでに海外からも動力織機は輸入され、一部の地域で利用されていました。しかし国産品となる豊田式はその20分の1の価格で販売され、広く普及したといわれます。
佐吉に続いて、鈴木政次郎、鈴木道雄、津田米次郎らが独自の国産動力織機を発明し、製造を開始。これら国産動力織機は日本の繊維工業の礎を築きました。

佐吉は、1930年に脳溢血により63歳で亡くなります。晩年には、海外で自動車の急速な発展を見たことで感化され、息子の喜一郎に自動車の研究をはじめさせたと言われます。
佐吉は現在においても、トヨタグループの創始者として、また、明治時代の主要な発明家の一人として知られています。

以上!

Комментарии

Информация по комментариям в разработке