日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/6/28)

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2024年6月28日(金)

【旧約聖書】
私の心は主に信頼し、私は助けられ、心は喜び踊る。私は歌を献げて主に感謝する。詩28:7(協)

【新約聖書】
だから、イエスを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。ヘブ13:15(協)

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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。

釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。

使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。

*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。

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 フランス文学者の奥本大三郎さんは、小学生の頃、病気で長く臥せっていた時期があるそうです。そのとき、何度ものけぞるような激痛を経験し、その様子をみて、周囲の人は「代わってあげられたらいいのにねぇ」と言ってきます。慰めの気持ちなのでしょうが、そんなありえもしないことを人に言われるより、身近な人が傍で唱えてくれる般若心経の方が、痛みが和らぐような気がしたと、奥本先生は言います。確かに、「代わってあげられたらいいのにねぇ」という言葉はよく聞きますが、そんなことできるはずもありませんから、どこか他人事のような感じがしますし、少し嘘くささも感じます。それよりも、激痛のなか、傍で必死に唱えてくれる般若心経は、この激痛の時間を一緒に担ってくれるような感じがしたのかもしれません。そのときのことを、奥本先生は「ただの慰めの言葉より、お経がいいときもある」とおっしゃっています。

 旧約の詩人はこのように歌います。「私の心は主に感謝し、私は助けられ、心は喜びおどる。私は歌を献げて主に感謝する。」私たちは神さまに感謝をするとき、讃美歌を歌います。礼拝の時には讃美歌を何曲も歌います。礼拝では牧師が聖書の解き明かしをし、メッセージを語ります。プロテスタントの礼拝では、この説教が礼拝の非常に大切な部分を占めます。ところが、説教は聖書の基礎知識がある程度ないと分かりませんし、あったとしても難しくて何を言っているのか分からないことも、よくあると思います。そのようなとき、牧師のメッセージよりも讃美歌がいいときもあるのです。教会に来て、説教の内容はよく分からなかったけれども、皆と一緒に讃美歌を歌った。これですでに、神さまに感謝をし、そして神さまから十分な恵みを受けているのです。

 年齢を重ねて教会に来ることができなくなった方、入院されている方、もう説教を聞いて理解するのは難しくなったとしても、讃美歌を一緒に歌うととても喜ばれます。ヘブライ人の手紙にはこのように書かれています。「だから、イエスを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。」讃美歌を歌うことは、神さまに感謝することです。随分前のことですが、ある方がお亡くなりになる直前、もう意識がない状態のはずですが、口元が動いている。耳を澄まして聞いてみると、それは讃美歌27番の頌栄だったのです。亡くなる直前に讃美歌を歌う。それはこの地での人生最後の神さまへの感謝であり、それは死の先にある永遠の命の道を歩む恵みに与ることができる、神さまへの信頼の歌です。慰めを語るより、讃美歌を共に歌う方がいい。場合によってはそのようなこともあります。それもまた、神さまへの感謝の言葉なのです。

日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

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