シリーズ熊野参詣道伊勢路を歩く 大内山の一里塚

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「熊野古道」として知られる熊野参詣道伊勢路は伊勢から熊野へ向かう巡礼路です。松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪、北越雪譜の作者で知られる鈴木牧之といった文人だけでなく、多くの旅人がこの道を歩いて旅しました。この道を整備したのは紀州徳川家。徳川家は、伊勢と和歌山を結ぶこの道を、紀州藩を貫く重要な道として整備していたのです。その沿道には一里塚がありました。大紀町にある県指定史跡の「大内山の一里塚」はそんな一里塚のうちのひとつ。江戸時代、多くの旅人をいざなってきたこの一里塚のふもとには一体の石仏が祀られています。その光背には文字が刻まれているのですが、その文字とはいったい・・?

〇 今回ご紹介する文化財
・大内山の一里塚(県指定史跡)
指定・登録日 1955(S30)年4月7日
市町 大紀町
所在地 度会郡大紀町大内山
 大内山の一里塚は松原の集落から南下した大内山川右岸の熊野街道にある。少し前までは、塚松とよばれる黒松の巨樹が道の東側にあり、塚状の封土はなくとも一里塚であることを示していた。更に昭和初期までは、街道をはさんで西側にも松の巨樹があったと伝えられる。江戸時代の古絵図にも川岸の街道沿いに一里塚が記され、現在地と一致する。

〇 関連する文化財
・熊野参詣道 伊勢路(国指定史跡・世界遺産)
2002(H14)年12月19日 国史跡指定
2004(H16)年7月7日 世界遺産登録
 熊野参詣道は、古代末から近世・近代に至るまで、貴顕のみならず一般庶民までが熊野三山への信仰と憧憬によって歩んだ道であり、我が国の歴史ならびに社会・文化を考える上で欠くことのできない交通遺跡である。
 熊野に至るルートは大きく3つに分けられる。第一は紀伊半島の西側を通る「紀路」で、これは途中で内陸を通る「中辺路」と海岸を通る「大辺路」に分かれる。第二は紀伊半島の東側を通る「伊勢路」、第三は高野山と熊野三山を結ぶ「小辺路」である。このうち、「紀路」と「伊勢路」の名称は平安時代後期の『梁塵秘抄』に「熊野へ参るには 紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し 広大慈悲の道なれば 紀路も伊勢路も遠からず」と見られる。
 熊野参詣道伊勢路は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素の一つで、大紀町、紀北町、尾鷲市、熊野市、御浜町の5市町にわたる。

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