日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/7/25)

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2024年7月25日(木)

【旧約聖書】
(神の言葉)私は雲の中に私の虹を置いた。これが私と地との契約のしるしとなる。創9:13(協)

【新約聖書】
しかし、今の天と地とは、同じ御言葉によって取っておかれました。IIペト3:7(協)

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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。

釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。

使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。

*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。

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 今朝は旧約聖書から創世記9章13節の御言葉が与えられました。「(神の言葉)私は雲の中に私の虹を置いた。これが私と地との契約のしるしとなる。」これは「ノア契約」と呼ばれるもので、あの有名なノアの箱舟の物語の締めくくりの箇所となります。神さまは人間を創造したものの、人間は神さまの目から見て悪と映ることばかりを行っていました。神さまは人間を創造したことを後悔し、洪水によって人間を滅ぼそうとされたのです。ですが、ノアは正しい人であったので、神さまはノアに箱舟を作るように命じ、ノアはその通りにします。そして大雨が降り続いて大洪水が起こりますが、箱舟に入ったノアとその家族、そして箱舟に来た雄雌それぞれ1匹ずつの動物は生き延びることができたのです。それ以外の息あるものはすべて、洪水によって流されてしまったのです。しかし神さまは今回行ったことを後悔され、「私はあなたがたと契約を立てる。すべての肉なるものが大洪水によって滅ぼされることはもはやない。洪水が地をほろぼすことはもはやない」とおっしゃって、その契約のしるしとして虹を置かられたのです。

 このことはペトロの手紙II、3章6節からこのように書いています。「当時の世界は、御言葉によって洪水に見舞われて滅んでしまいました。しかし、今の天と地とは、同じ御言葉によって取っておかれました」、つまり、世界は御言葉によって滅ぼされ、また御言葉によって回復したということです。ここで気がつかなければならないことは、滅ぼされる前と後とで、実は人間は何も変わっていないのです。ノア以降の人間もまた、再び神さまの目に悪と映ることばかりを行っていたのです。ですが、神さまの約束によって、ただ、神さまの憐れみによって、赦されて生きているのです。ただ、ペトロの手紙の続きはやや恐ろしい記述が続いています。「不敬虔な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、火で焼かれるために、保たれているのです。」神さまは救いの箱舟を用意してくださっているのに、それに乗り込もうとしない人々が、依然として多くいるのです。それは最後の日、つまり終末のときに裁かれてしまうということです。

 今、日本では宗教は怪しい、危ない、と考える人が大勢います。そう思うのも無理はないと感じるところはあります。ですが、宗教とは、喩えて言えば火のようなもので、使い方を間違えなければ、暖をとり、料理をすることができますが、使い方を誤れば、建物を燃やし、生き物の命を奪うことがあります。その誤った使い方だけを見て、「危ない」「危険だ」と言うと、体を温めたり、料理をしたりという選択肢も捨てる生き方を選ぶことになってしまいます。そのように「宗教は危ない」と避けていた人々が、自分の死期が迫ったとき、自分の限界を認めざるを得なくなったとき、なぜか奇妙な宗教に、あっさりと引っかかってしまうケースが多くあります。これはとても残念なことです。信者にならなくとも、どの宗教、どの宗教者が誠実に向き合ってくれるかを知っておくことは、大切なことでしょう。

 神さまは、私たち人間が変わらなくとも、滅ぼしたことを後悔して、赦して下さるお方です。救いの箱舟をいつも用意してくださっているのです。その御言葉を聞き、一人でも多くの人が救いの道を歩んでくださることを願ってやみません。

日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

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