大義の引き際№2鎖瀾閣復元運動の発足

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阪神間で13回も転居した谷崎潤一郎が、最初で最後に自分でデザインした家。伝記での通称「岡本梅の谷の家」だった。
 阪神大震災で全壊したこの家を復元しようと考えた谷崎研究者・たつみ都志は、地元の文化人・広岡倭のと一緒に復元運動を立ち上げようと考えた。ほかの阪神間の家と差別化するために、この家に固有名詞が必要だった。谷崎潤一郎が1921(大正10)年に発表した短編「鶴唳(かくれい)」の中にこの家とそっくりの描写があり、その家を「鎖瀾閣(さらんかく)」と谷崎自身が名付けている。大正末期、中国かぶれになっていた谷崎が中国風の家にあこがれていた証でもあった。
 たつみはこの家を「鎖瀾閣」と名付けて1995年7月30日(谷崎潤一郎の命日)地元の人々と一緒に「鎖瀾閣復元運動」を始めた。その日、古建築の復元の大家・澤良雄とともに、地元で発足式が行われた。

DVDを制作したのは、2010年3月。
NPO法人潤に寄せられた寄付と「ひょうご安全の日推進県民会議」の助成を受けて制作した。それから14年。来年阪神大震災30年になるのを機に、2024年6月、DVDの65分のものを、6つに分割して、№1~№4と№6をyoutubeにアップした。

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