日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会 2024年9月8日(日)礼拝説教

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説教「生きる、ゆるされる」今井牧夫
聖書 テサロニケの信徒への手紙二 1章23節〜2章11節

 神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、
 わたしがまだコリントに行かずにいるのは、
 あなたがたへの思いやりからです。

 わたしたちは、
 あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、
 あなたがたの喜びのために協力する者です。
 あなたがたは信仰に基づいて
 しっかり立っているからです。

 そこでわたしは、
 そちらに行くことで再びあなたがたを
 悲しませるようなことはすまい、と決心しました。
 もしあなたがたを悲しませるとすれば、
 わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、
 わたしを喜ばせてくれるでしょう。

 あのようなことを書いたのは、そちらに行って、
 喜ばせてもらえるはずの人たちから
 悲しい思いをさせられたくなかったからです。
 わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、
 あなたがた一同について確信しているからです。

 わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、
 涙ながらに手紙を書きました。
 あなたがたを悲しませるためではなく、
 わたしがあなたがたに対してあふれるほど
 抱いている愛を知ってもらうためでした。

 悲しみの原因となった人がいれば、
 その人はわたしを悲しませたのではなく、
 大げさな表現は控えますが、
 あなたがたすべてをある程度悲しませたのです。

 その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。
 むしろ、あなたがたは、
 その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、
 赦して、力づけるべきです。
 そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。

 わたしが前に手紙を書いたのも、
 あなたがたが万事について
 従順であるかどうかを試すためでした。
 あなたがたが何かのことで赦す相手は、
 わたしも赦します。
 わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、
 キリストの前であなたがたのために赦したのです。

 わたしたちがそうするのは、
 サタンにつけ込まれないためです。
 サタンのやり口は心得ているからです。



  (上記は新共同訳聖書をもとに、改行など、
   文字配置を説教者の責任で変えています)

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