【合戦解説】三増峠の戦い①「武田信玄」が「北条氏康」の領土を500キロに渡って縦断!怒った北条軍が武田軍を追う!

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戦国時代に行われた数々の合戦。その多くは勢力と勢力との境目で行われました。ある拠点が攻撃され、それを助けようと駆けつけた援軍が反撃を仕掛けるというものですね。もちろんこればかりではありませんが、特に城を取り巻く合戦はこのようにして起こることが多かったようです。
ところが、敵の領土を一か月にもわたってぐるっと縦断しながらあちこちに攻撃をかけ、帰国するというとんでもない作戦を実行した戦国大名がいました。それは有名な甲斐の武田信玄です(この動画では信玄と統一して呼びます)。信玄はあるとき突然に関東に広大な勢力を持つ北条氏の領土に攻め込みます。そして各地の北条の城を攻撃しながら軍を進め、ついには北条家の本拠小田原城にまで到達します。そして小田原城下に火をかけ北条の領国をさんざん荒らしたのです。さすがにこれには北条氏も黙っておらず武田軍の帰国を阻止する作戦をとるのですが、信玄は待ち構える北条軍をサッと撃退し、見事領国甲斐に引き上げるのです。その出発からの移動距離は約500キロ。途中で城を落とすわけではなく一辺の領土も増えないという不思議な行軍だったのですが、この武田軍の無茶苦茶な戦いぶりは北条氏を驚かせ、その後の信玄の戦いを有利に進めることになるのです。
領土を蹂躙されさんざんな目に遭った北条軍、特に鉢形城の氏邦と滝山城の氏照は「このまま武田軍を返してなるモノか」と相模に軍を進めます。そして武田軍の帰国ルートに待ち伏せしさらに小田原城に援軍を頼んで挟み撃ちにしようとします。北条氏照らが陣を敷いたのは三増峠。この三増峠の合戦がどのように行われたかについては様々な説があり、実はあまりよくわかっていません。北条軍の作戦は武田軍が向かう三増峠の高台に布陣し、有利な状態でこれを迎え撃つ。やがて小田原から来る北条氏政率いる大軍が武田軍を背後から攻撃し、挟み撃ちにして殲滅するというものでした。
一方信玄率いる武田軍は、有利な高い場所にいる敵の攻撃を何とかかわし、小田原からの援軍が到着する前に三増峠を突破しなければなりません。さらに峠の北側にある北条方の津久井城からの攻撃にも備えなければなりません。
今回は武田信玄が北条家の領土を駆け抜けた「関東縦断作戦」とその最後に起こった山岳戦「三増峠の戦い」を二回に分けて紹介します。

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