梅谷文書考 身のうちの守護 全6回【天理教】【RADIO TUBE】

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梅谷四郎兵衛先生関連の文書等をまとめて残されている梅谷文書
その中に収録されている「身のうちの守護」を台に、すがマロRADIOで全6回にわたり語り合ったまとめの音声動画です

0:08 身のうちの守護①
16:22 身のうちの守護②
32:31 身のうちの守護③
49:05 身のうちの守護④
1:06:28 身のうちの守護⑤
1:20:23 身のうちの守護⑥

以下梅谷文書収録「身のうちの守護」全文

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【身のうちの守護】

とう神様は天理王命とおかみたてまつる神様でありまして、此神様のお道をおはじめ下されましたのは、御きようそ様であります。御そんめい中、つね/\ときさとし下されましたるには、人間身の内と申しまするは、みな/\神様よりのかり物、わが物と申しまするは、心一つのりよりないとの事で御さります。
そこでこれませともふしまするは、わが身わがものとおもいして、おたがいにしらずしらずにとふりましたることゆへ、なんぎふじゆうな身となり、くるしまねばなりませなんだが、おはなしをきかしていただけば、十五才まではおや/\の心、十五才よりはめいめい一人かぎりの心をうけとり、どんなしゆごふもしてくださるのであります。はやいどふりが、かないいくたりくらしましても、こゝろのうちのものは、わしのものとおもはず、かないいくたりのなかのものとゆふ心でくらせば、身びいき身がつてもでませず、むつまじうおさまります。そこで、かりものとゆふりがおさまらねば、なによの事もわかりませぬゆゑ、かりもののりをよく/\ききわけねばなりません。

そのかりものともうしますは、人間身のうち、めゑどふすいきのうるおいは、くにとこたちのみこと様よりのかりものであります。この神様は天にてはお月さま、天をおさめくださります。せかいにては水のしゆごふくださります神様であります。人間身のうちにおきましても、めゑわーがんとか申しまして、めほどたいせつなものはありません。そのめやからだのすいきがにごりましたら、めはみゑず、うみしるながれてなんのじうよふもかないません。
つぎに人間身のうちぬくみは、おもたりのみことさまよりのかりものであります。この神様は、天にては日りんさま、地をおさめくださります。せかいにては、火のしゆごふくださる神様であります。天は月さま、地は日りんさまで、天地だきあはせのせかいに、めん/\すまいさしてもろふております。
このぢつのおや様月日様が、このせかい、ない人間ないせかいおはじめくだされたるおや神様でござります。そのぬくみとすいきは、一の神とももふされまして、子がうまれますにも、みずおりともふしまして、水がさきで、たねをまいても、水がなければめをふきませず、水わものごとのはじまりで、それにぬくみがそうて、もの事はそだつのでござります。そのぬくみとすいきは五分と五分とから、つごふよふまいります。りうけつくるにも火がかちましたら、ひやけとなり、水がかちましたら、ねはくさりてしまいます。家の内もおつとが五分に、によふぼふが五分、これで十分におさまりますが、それにせけんには、一人のおつとのあるのに他におとこをこしらへたり、おつとをしりにしいたりするものもあるし、また一人のによふぼふのあるのに他に女をこしらゑたり、によふぼふをむごたらしうするものもありますし、そうなりますと、五分/\のりをかきますゆゑ、一家の内も、むつまじうまいりません。人間身のうちでもぬくみがかつてはねつとなり、すいきがかつてははれやまいとなります。してみますれば、ぬくみすいきは、五分/\でなければなりません。この月日おふたかたは、ぢつのおや様と、あと八柱の神様はもと人間おこしらゑのどふぐにおつかいなされたおかたに神なをおさづけなされたのであります。
つぎに、人間身の内かわをつないでくださりますは、国さつちの命様よりのかりものであります。この神様せかいでは金銭はじめおやこ、ふうふきようだいどこ/\までもつなぐ、むすぶいつぽうのごしゆごくださる神様であります。この神様のごしゆごふがなかつたら、どんなうつくしいからだでも、かわひとゑめくれば、ごむさいきたないものでござります。そのかわのきれたり、ゑんのきれたりしますのは、やはりきる心ならきれにやならん、つなぐ心ならどこ/\迄もつなげにやならん。そこで、そう、もたれる、あわす心なら、てきをてきにせず、かたきをかたきにせづ、どんななかでもおさまらにやなりません。
つぎに、人間身の内しんなるほねつうぱるところは、月よみの命様よりのかりものであります。この神様はせかいにては、たちきそうもく、つうぱるいつぽうのごしゆごうくださる神様であります。
この神様のごしゆうごうがなかつたら、ほねなし子のよふなもので、あるく事もできませず、そふかとゆふてあまりつうぱりすぎたら、まがる腰もまがらずして、こまらねばなりません。それゆえ、わがのりをたてず、人のりをたてるよふにせねばなりません。
つぎに、人間身の内のみくいでいり、よきところは身につけ、かすはしもゑさげてくださるは雲よみの命様よりのかりものであります。この神様はせかいにてはすいきあげさげのごしごふくださる神様であります。この神様のごしゆごふなかつたら、たべたものはしもゑさがらず、ちよふまんのよふなもので、とりこむいつぽうと、だす事をようせずこまらねばならん。
そのほかあげくだし、たべたものが身につかずしてそのまゝでてしまいます。そこで日々とほるなかに、ふそくの心をもたず、人をたすける、人にたんのふあたゑる心なら、そんな病きになることはいりません。そこでこの五つはしらの神様のりをもつて、五りんとも五体ともゆわしてあるとの事であります。
右五ツはしらの神様で五たいはこしらへくだされましたが、これにはものをゆわさん事にはりこうはつめいともいゑず、神ちよふほふにつかゑん。
そこで、人間身の内いきでものをいわし、かぜでふきわけくださるは、かしこねの命様よりのかりものであります。せかいにては風のごしゆごうくださります神様であります。このいきーツとゆふはたいせつなもので、くちさきさんずん、ことばのつかいよふで人をおこらしたり、人にはらたてさしたりいたします。
てきをつくるも、みかたをつくるも、このいきーツであります。そこでものにたとゑてはなしをすれば、あき風のよふなそよ/\としたかぜは、たれのはだにさわりましても、やわらかにあたりますが、おゝ風となりますればたれもこはがります。やわらかやさしいことばは、たれもすくやろふなれど、おゝきいこゑでどなりつけますれば人もいやがります。なんぼふ人をきらいでも、こかさいでも、きりこふじよふ、すてことばとゆふて、ことばで人をきり、人をたゝくものも、せけんにはたんとござります。そこで神様はつくいきすみやか、ひくいきあざやかと、おきかせくださります。
そこで、この六はしらの神様が、ちうややすまづに、身の内ゑ入こみおはたらきくださるゆゑ、身上そくさいであります。そこでこの六柱のりをもつて身上そくさいならば、六くむつまじいとゆはしてあります。
そこで、つぎの神様大しよく天の命様ともふしまして、人間このよゑむまれでるとき、母のたいないでおやと子とのにくゑんをきつてくだされ、せかいにおいてわ、きれもの一さいのごしゆごうくださる神様であります。
また、つぎなる神様はおゝとのべの命様で、この神様は人間このよゑむまれでるとき、母のたいないよりひきだしてくださる神様であります。この神様はせかいにては、くさき、りうけ、りきもつーさいのめをひきだしてくださる神様でござります。この神様はひやくしよふのねんじ神様であります。
そこで、子をうましてもらいますとき、おやこのにくゑんをきつてくださるは、たいしよく天の命様のせわどり、ひきだしてくだされますはおうとのべの命様の世話どり、またあとをもとのとふりにつないでくださるは、ぜんにも申しましたくにさつちの命様のせはどり、この三柱の神様のせわどりで子うましてもらいますゆゑ、このりをもつて子をうむ事おさんとゆはしてあるとの事であります。
このよなりで、どの神様がごしゆごふたらいでもなりませんゆゑ、つね/\、心すましてとふらねばなりません。
また、つぎなるは伊ざなぎのみこと様、この神様はもと人間のたねとなりくだされましたる男神様で、伊ざなみの命様はもと人間なわしろとおなりくだされたる女神様であります。
そこで、みぎ十はしらの神様がふそくなくごしゆごふくだされますれば、せかいはじめ人間みのうちどこにふそくなくとふれます。このりをもつてものごと十ぶんとゆはしてあるとの事でありますが、せかいながめてみれば、びようきびよふなん、うれいさいなんでこまつてござる人のありまするは、神様のしゆごふがないのやない、めん/\しらず/\に日々月々年々どこかごしゆごふの理をかきますゆゑこまらねばなりません。そこで、とう神様をしん/\いたしますには、一にこのかりものゝりをきゝわけ、せじようのりをみて、心すましてとふらねばならんとの事で御ざります。
神様はこのようにふかきあつきめつらしいたすけを、おしへくださります事でありますゆゑ、一人かぎり一けんかぎりしらず/\とふりてきたる人間心の道は、めん/\に神様にさんげおわびをして、これからはわれしよふがいの心に、たがいたてやいたすけやいとゆふ心と入れかえてねがふなれば、あとは一人かぎりの心しだいで、たすけくださるとの事であります。つねに神様のおつくりくだされたこのせかいに、神様のおこしらゑくだされましたるからだをもちながら、人間心といふ、ねたいときにはね、おきたいときにはおき、いゝたいことはゆふてとほり、したいまゝにして心のおふかんをとふり、わがすいたまゝにすれば、ちょうど、どくとしりつゝのんでいるよふなもので、しまいにはそのどくにあてられ、身上にほそみちをとふらねばなりません。
それゆゑにこのみちは、心のたてかへ心のきりつぎと申しまして、これまでのじがね、こげつき、しよふぶんをすつきりとつて、かみいちじよふの心になりますれば、それかみのせかいに、かみのからだをもつて、神の心をつかいますこそゆゑ、なんにもいゝぶんはありませんなれど、これまでともふしまするは、ねんげんたちきりませぬゆへ、神様みゆるしてくだされましたが、このたびとゆふは、もとなるやしきゑもとのおや様があらはれて、どふでもこふでもせかいーれつすみきらしてくださる事であります。

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