西国三十三所巡礼・大和あぢさゐ回廊編 P20240601

Описание к видео 西国三十三所巡礼・大和あぢさゐ回廊編 P20240601

平等講・西国三十三所巡礼のライブ配信です。
初日は6番〜9番札所を巡礼いたします。

お次第:https://byodoji.online/pdf/saikoku202...

#西国三十三所 #平等講 #あぢさゐ回廊

=====
西国三十三所とは

🔵西国三十三所のはじまり・閻魔大王の御宝印

西国三十三所巡礼は、閻魔大王と徳道上人の出会いから始まりました。養老二年(718年)、奈良の長谷寺を開いた道明の弟子・徳道上人は病に倒れ、冥土で閻魔大王と対面します。閻魔大王は「人々を救うために三十三の観音霊場を開き、巡礼を勧めよ」と告げ、徳道上人に起請文と三十三の御宝印を授けました。現世に戻った徳道上人は、お告げの通りに三十三の観音霊場を創設し、人々に巡礼を奨励したと伝えられています。

🔵花山法皇による開創の縁起

しかし、徳道上人の観音霊場はすぐには広まりませんでした。当時の人々に受け入れられず、御宝印は兵庫・中山寺の石櫃に隠されました。

それから270年。寛和の変(986年)で出家した花山法皇は、青岸渡寺での修行中に熊野権現から「徳道上人の巡礼地を再興せよ」とのお告げを受けます。法皇は御宝印を見つけ出し、数名の僧侶たちと共に三十三の観音霊場を巡礼。再び閻魔大王の御宝印を広めました。この旅の中で花山法皇が詠んだ和歌は、各札所の御詠歌として今日も伝えらえています。

🔵西国三十三所の発展と現在

最古の巡礼記録は三井寺の行尊「観音霊所三十三所巡礼記」(1092年頃)です。この巡礼記では一番札所が長谷寺とされていますが、熊野詣が普及するにつれ、次第に青岸渡寺が一番札所となりました。15世紀中頃までには札所番号が現在のものとなり、一般の巡礼者も増え、東国の人々から「西国三十三所」として親しまれるようになりました。

現在、西国三十三所巡礼は「1300年つづく日本の終活の旅」として日本遺産に登録され、観音さまの慈悲や後生の安心を求めて今日も多くの巡礼者で賑わっています。

Комментарии

Информация по комментариям в разработке