永井隆博士が残した被爆の記録と生き様 | nippon.com

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1945年8月9日11時2分、禁教令時代以来の長崎市のキリスト教徒集住地に立つ浦上天主堂の上空500メートルで、2発目の原子爆弾が爆発した。天主堂で祈りをささげていた司祭と信者数十名は全員即死、天主堂は破壊された。近隣の長崎医科大学でも多数の犠牲者がでた。そしてそれは医科大学病院で被爆し重傷を負った医師、永井隆博士にとって、原爆の被害の記録を後世に残すための戦いの始まりだった。

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