【命の記憶】出征直前 母の手料理を… 駆逐艦に乗った元少年兵 93歳の戦争体験 『every.特集』

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『アメリカのパイロットの顔が突っ込んでくるのが見えた』と話す。
元少年兵の髙瀬秋治(たかせあきじ)さん、93歳。

『戦争に行くことが当たり前で行かない人間はダメというような世の中だった』
群馬県で生まれ育った髙瀬さんは、中学生のとき両親に黙って願書を提出、海軍の少年兵に。
髙瀬さんは親元を離れ昭和19年2月、軍艦の乗組員を養成する学校に入った。

神奈川県・横須賀市。現在は防衛関連の施設などになっている学校の跡地を訪ねた。
学校では、音で海中の潜水艦を探す訓練などを受ける中、
成績が悪かったり注意を受けたりすると様々な制裁が待っていたそう。
中でも特に痛いのが「バッター」と呼ばれた罰。
『廊下の柱を持ってこうして尻を出す。そうすると3本とか』
固くて太い木の棒で尻を勢いよくたたかれるバッター。
訓練の厳しさから、自殺者が出ることもあったという。

学校を卒業したあと、駆逐艦「春風」に乗り込むことになった髙瀬さん。
現在も海上自衛隊の基地などがある長崎県佐世保の港の岸壁で
初めて「春風」を見たとき、驚きを隠せなかったそう。
『ケガだらけの船、赤くさびていて…これに乗るのかと』
春風はそれまでの戦いで傷だらけの状態だった。

昭和20年6月になると戦局は悪化。
佐世保港はたびたび航空機による攻撃を受け、髙瀬さんも戦闘を経験した。
役割は機関銃の弾運び。

銃撃を加えてくる米軍の戦闘機に「春風」も機関砲で反撃。
「アメリカのパイロットの顔が突っ込んでくるのが見えた」と話す髙瀬さん
「この野郎!なにくそ」っていう気持ちだったという。

1200人以上が犠牲になったアメリカ軍による佐世保空襲も「春風」から目撃。
双眼鏡を向けると逃げ惑う人たちが見えたが、どうすることもできなかった。

髙瀬さんが戦争を体験した場所を一緒に訪れた孫のさやかさんは…
『戦闘のときの思い、空襲を見ていたときの思い、よりわかるような気がする』

昭和20年8月。日本は敗戦。故郷に戻ると両親は大変喜んだという。
ただ、4人の兄のうち2人が戦死。髙瀬さんと同じ学校で訓練を受けた同郷の青木さんも
卒業直後に戦死していた。第2次世界大戦で日本の犠牲者はおよそ310万人。
数多くの人が家族を失った。
終戦から78年。髙瀬さんは『安心できる静かな世界が望ましい』と話す。

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