戸田城聖-23)「絶対的幸福」は弘安2年10月12日の大御本尊の信受のみ【字幕有効】

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私は、これ仏法上の用語でなくて、仏法上の用語を、現代語に直して言うでるんですが、相対的幸福と、絶対的幸福とこうあるんですね。相対的幸福というのはですね、家の無い者は家ができれば嬉しいと、貧乏してる者は金持ちになればいいと、身体の弱い者は丈夫になればいいと、これは、ある対象を置いてですね、それを自分が取れば幸福だと、その境地にいけば幸福だというのを、私は相対的幸福と言ってるんですよ。仏法はそれだけじゃないんです。絶対的幸福観というものがあるんですな。絶対的幸福というのはですね、どこにおっても、生きてる瞬間瞬間そのものが幸せなんですよ。そして、自分が生きているという事、心の底から喜び切っていくんですね。そういう境涯が、誰にも壊されないその幸福観ですね、それを相対的幸福と称してますが。そこまではね、そこまでいくのが、この日蓮(正)宗の、大聖人様の目的なんですね。我々そこまで連れて行こうっていうのが。即飛びにはいきませんから、相対的幸福というものをつかんで、絶対的幸福へ行けるという確信を持たせるわけですね。
質問:その方途としては?
方途としてはですね、大聖人様が、一閻浮提総与の大御本尊、そういう御本尊、弘安2年の10月12日に御顕しになってらっしゃる。この御本尊をただ受持して信じて、そして南無妙法蓮華経と唱える、それだけで行け、というのが日蓮大聖人の最後の断言なんですよ。それだけをすることなんです。「不渡余行」と言いましてね、余行に渡さずというその、教えがありましてね、大聖人様がこれは絶対に言い張っている事です。他の行をやっちゃいかん。これだけだと。よく、「神棚を外せ」と我々の宗教は言うんですがね、神棚は関係ない、外さなくていいんです。神札だけ取れと私は言うんです。他の神様はダメだと言う、仏様はダメだと言う「不渡余行」、余行に渡さずという原理から言ってですね、それをやらして、清浄な境地において弘安2年の御本尊をただ拝むと、そうすりゃ(絶対的幸福に)なりますよ絶対に、百発百中と言ってさしつかえないほど、願いが叶っていくんです。

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