【松代城】 武田信玄vs上杉謙信 川中島の戦いの舞台になった戦国時代の平城

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moka studio2020です。この動画は、松代城について解説した動画です。
松代城は、真田10万石の城下町として知られています。しかしその前身は、戦国時代に武田信玄が築いた海津城です。海津城は、武田信玄が、川中島の戦いに際して、北信濃攻略の基地として築城したことがはじまりとされています。武田氏の滅亡後は織田・上杉氏等の支配を経て、1622年に真田信之が上田から入封して以降、明治維新まで真田家の居城となりました。
北信濃を巡って行われた川中島の戦いは、海津城もかかわりが深く、中でも1561年の第4次合戦が最大の激戦でした。この戦による死者は、上杉軍が3千余、武田軍が4千余と伝えられ、互いに多数の死者を出しました。しかし、両軍が偶然遭遇して起こった戦いであったとの説もあり、真相は不明の点が多いようです。こうして北信濃防衛に成功した信玄は、この後、今川義元亡き駿河に侵攻していきます。
 戦国時代の松代城が、どのような縄張りであったのかは、よくわかっていません。千曲川は、現在は城から離れた所を流れていますが、戦国時代には、城のすぐ北側を流れていました。武田氏の築城した平城には、同じ長野市にある長沼城や、上田市岡城、静岡市江尻城等がありますが、いずれも川を背にして本丸を囲むように二の丸を設け、虎口を三日月堀で固めるという共通した特色があります。松代城も類似した縄張りであったかもしれません。
松代城は、明治時代になると、堀は埋め立てられ、桑畑になったようです。この状況を嘆いた真田家は、少しずつ本丸跡地を買収し、1904年に遊園地として一般開放されました。1951年に真田家から本丸の寄付を受けた長野市は、精力的に調査と整備を行っています。
松代城の周辺には、江戸時代の面影を残す、風情のある街並みが、あちこちで見られます。また、真田邸や真田宝物館をはじめとした、松代の歴史を学び、感じられる施設が数多くある、見どころの多い町です。松代城だけでなく、松代の町と併せて見学されてはどうでしょうか。

【参考にしたサイト・書籍】
長野市 松代城の歴史
https://www.city.nagano.nagano.jp/sos...
埋もれた古城 海津城
http://umoretakojo.jp/Shiro/TokaiKosh...
松代城跡(3) 流域松代幹線系花の丸汚水準幹線事業地点 長野市の埋蔵文化財第124集 長野市教育委員会 2009

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