プチ・トリアノンで知る悲劇の王妃の真実|マリー・アントワネットを想う旅|フランス政府公認ガイドikkoと行くヴェルサイユの離宮

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こんにちはikkoです。

今回の動画はヴェルサイユの離宮プチ・トリアノンをご案内しながら私なりにまとめてみた「マリー・アントワネットってどんな人?」をお話しするというのがテーマです。
フランスの歴史をあまりよく知らなくても、マリー・アントワネットを知らないという人は稀だと思います。でも実際に「マリー・アントワネットはどんな人?」と知っているのかといえば、「ドレスや宝石を買って贅沢ばかりしていたからフランス革命が起こった」とか「パンがないならお菓子をお食べといった」とか、おそらく大半の方々はこの王妃のことをなんとなくどこかで聞いた話などで誤解してそう思いこんでいるだけだと思うのです。
それらの誤解に対し弁明していうなら、フランス革命の大きな要因は彼女(の浪費)ではないし、お菓子をお食べといったのも彼女ではありません!
この話をしだすと長くなるのでここでは書きませんが、問題はいかにもそうでありそうなイメージが一般的に定着しているという点ですね。
確かにマリー・アントワネットは自分の立場や所作に対しあまり深く考えずに軽はずみな行動をしてきましたが、その原因の一つは夫であるルイ16世が広い意味で社交下手だったということが大きいと思います。王がもっと王妃を思いやり、一緒に楽しみを見つけたり、彼女を宮廷の敵から守ってやっていたら、あるいは慣例通り公式寵姫でもいて、その女性に宮廷人の敵意が向けられていたら、マリー・アントワネットは退屈病で苦しまなかったでしょうし、悪目立ちもしなかったのではと思うのです。大体の彼女への誹謗中傷は反王党派の宮廷人がまき散らしていたというのが実のところのようです。
あまり話題にもなりませんが、それまでの王妃たちも賭け事で負けて借金を作ったり、ドレスや宝石にふんだんにお金を使ったり、あるいは王も公式寵姫や愛妾たちに城や領地を与えたりと、なにもマリー・アントワネットだけが贅沢をしたわけではなかったのです。本当にその点、運とか時代が悪かったんだろうな~と思わざるを得ません。あとはアルトワ伯とかポリニャック夫人とか、周りにいた人たちにも恵まれていなかったと思います。
まあ色々な要因が重なりますが、なんと運命は彼女に冷たかったことでしょう。初めは熱烈歓迎で笑顔で迎えてくれた国民に蛇蝎のごとく嫌われ、王権も剥奪され、実家のオーストリアもあてにならず、最期は断頭台の露と消えたというドラマチックではかない人生。でもだからこそいつまでも人々が忘れずに語り継がれていく悲劇のヒロインになったのです。
この動画が視聴者の皆様にとって少しでもマリー・アントワネットについて思いを寄せる機会になればいいなと思っています。私は革命の中で人間として大きく成長を遂げた彼女がとても好きです。

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