青い春 ー エンディング

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青い春(2001)
 監督:豊田利晃
 原作:松本大洋
 出演者:松田龍平、新井浩文、高岡蒼佑など
 主題歌:THEE MICHELLE GUN ELEPHANT『ドロップ』
 
〜飛び降りた青木〜
青木(新井浩文)は、劇中において誰に馬鹿にされても怒ることはなかったが、憧れでもあり親友でもあった九條(松田龍平)に見下されたことでキレてしまう。そして、九條と対等な関係であり続けるめに、彼にはできないことをしようと決意する。ベランダゲームで屋上の手摺りを掴むことを放棄し、ギリギリまで手を叩き続けることで、九條の9回という記録を塗り替えたのだ。パイロットになるのが夢だった青木のすぐ上を旅客機が飛び、「九條、俺も連れて行ってくれよ。な…」というセリフが入った後、青木は空を舞い、見事13まで数え切って見せる。
[4:20]→扉に"青木13回"の文字

〜咲いた花〜
「先生、咲かない花もあるんじゃないですか?」と言う九條に対して、「花は咲くものです。枯れるものではありません」と答えた用務員の花田先生は、九條、木村、雪男(高岡蒼佑)の三人に、それぞれ自分のチューリップを育てさせる。九條は「どうせ咲かないよ」と言う。彼は自分を咲かない花だと思っていた。いや、咲きたくなかったのかもしれない。「黒い花が咲くかもね」と言った雪男の花は枯れてしまい、木村の花も育たなかった。しかし、誰も咲かせられなかったチューリップを、青木だけは見事に咲かせて見せる。夢や希望が見えず、将来を悲観する九條に見せつけるかの様に、並大抵ならぬ勇気をもって自分の覚悟を貫いた青木の花は咲いたのである。九條の花が咲くことはあるのだろうか...

〜黒い人影〜
劇中、九條が机に描いた両手を上げてガッツポーズをしている様に見える人影 [3:34]の落書きの意味を青木が訊いても、九條は答えなかった。そんな絵の意味を、屋上で一晩中佇みながら考えを巡らせることで青木は読み解く。そして、それを九條に伝えるために、屋上に自分自身の影を使って同じ絵を描いた。人影の絵は、夢や希望が見えず不安や焦りに囚われていた九條が、何かを達成した将来の自分自身を思って描いたと考えられる。地面に叩きつけられた青木の姿は黒い人影と同じ形で、彼が"何か"を達成したことを暗に示しており [5:42]、それに気づいた九條は自分自身の影を青木の描いた影に寄り添わせる。
*青木が一晩中佇むシーンは、実際に休憩を挟みながら一晩かけて撮影された。

~幻の写真~
ラストに映し出された1枚の写真 [6:18]。これはあり得ない写真である。劇中冒頭で記念写真を撮ろうとした時 [3:02]、写真嫌いな九條はカメラ役を買って出た。しかし、最後の写真では九條も青木に寄り添う様に写っている。そこには、死んだ大田も、警察に捕まった雪男も、野球の夢に敗れヤクザの道を選んだ木村も、パシリから豹変した吉村もいる。仲間を失ってからやっと、その大切さに気づいた九條の冷めた心になにか温かいものが宿ったということだろうか。

〜青い春とは〜
この作品では若者の青さを塗りつぶすかの様に黒を多用している。黒い人影、黒い花、黒いスプレー、黒いピンポン玉、一瞬黒く見える校舎、顔と手を黒く塗った青木など、枚挙に遑がない。作中の若者たちは見た目で虚勢を張るだけの不良ではなく、退屈な日々と先の見えない将来を前にした無気力な高校生である。この作品で伝えたいのは青春時代の若者たちの心の影であり、だからこそ喧嘩や暴力シーンにあまりフォーカスされていない。寧ろ、閉塞的な環境で、極端に偏った価値観に基づいて刹那的な判断を行う青年達の精神的な部分がクローズアップされている。どれだけ黒く塗りつぶしても隠しきれない青さを持つ若者の葛藤。それが、この作品の最大のテーマなのではないか。なにより、青木という「青」の付く名前を持つ、他の誰より「黒」の観念に縛られていた男が、"夜の闇"から夜明けまで待ち、やがて太陽の昇った"青空"を見届けてから散るというところに、「青い春」というタイトルの意味が隠されている気がする。

〜原作後書き〜
どれだけ情熱を燃やそうと、血潮を滾らせようと、青春とはやはり青いのだと僕は思います。
それはたぶん夜明け前、街の姿がおぼろげにあらわれる時の青色なのだと思います。

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