日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/11/3)

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2024年11月3日(日)

【旧約聖書】
富が増えても、心を奪われるな。詩62:11(協)

【新約聖書】
善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。Iテモ6:18(協)

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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。

釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。

使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。

*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。

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 お金はあると便利です。お金がないと、日常生活では苦労することが多くなります。だからといって、「世の中すべてお金だ、これは私だけのものだ」と考えると、それは大切なことを見失ってしまいます。

 使徒パウロはテモテに宛てたこの手紙で、「善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。」と書きます。これの一つ前の17節では、「この世で富んでいる人々に命じなさい。高ぶることなく、不確かな富に望みを置くのではなく、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように」と書かれています。これは、この世で富んでいる人々への勧めとして書かれていますが、まず、注意したいのはお金に代表されるこの世の富を否定しているのではありません。ここでは富んでいる者が陥りやすい危険が指摘されています。その危険とは、富んでいるがゆえに高慢な人間になってしまうことです。そして富にすがり、富に希望を持つことです。富を持っていると、周囲の人々は注目してくれます。言うことも聞いてくれます。欲しいものを手に入れることもできます。何でもできるように勘違いしてしまいます。しかし周囲の人々は、実はその人を見ているのではなく、その人の持っているお金を見ています。ですが、富んでいる本人は不思議なことに、なかなかそれに気づかないようです。何でも自分で思い通りになると勘違いして、高慢になってしまうのです。

 ですが、パウロは富ではなく、神さまこそが希望の根拠であると言います。神さまは私たちに必要なものを惜しみなく与えてくださっています。「楽しませてくださる」という表現は、異教の禁欲主義を念頭に置いているのでしょう。楽しみも喜びも犠牲にして禁欲的に生きることこそ良い生き方と考えているのです。ですが、神さまを信じて生きるというのは、そのような極端な禁欲生活をするのではなく、必要なものが今日も与えられ、そして感謝していただいて、楽しく生きることなのです。それは贅沢するという意味ではありません。そのように惜しみなく神さまが与えてくださるからです。ですから、私たちも神さまと同じように惜しみなく与える。困っている人々に惜しみなく与える。それが「良い行い」なのです。

 富自体は悪いものではありません。なければ生活するのに困ってしまいます。ですが、必要を超える分については、必要な分すら与えられていない人々に分け与える。それが、豊かに与えてくださる神さまが望んでおられることです。では、現実問題として、その必要な分すら与えられていない人とは何なのか。それは与え尽くした人です。与え尽くしたゆえに、困窮しているのです。そこに私たちはイエスの姿を重ねるべきです。困窮して困っている人は、まさにすべてを与え尽くしたイエスのお姿そのものなのです。旧約の詩人は歌います。「富が増えても、心を奪われるな。」必要を超える富は、困っている人に分ける。その困っている人のところに、神さまがいらっしゃるのです。

日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

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