ありがとうナナヨン【 74式戦車 】総集編! 秘蔵映像も大公開!! 《当チャンネル史上最長 27分映像》

Описание к видео ありがとうナナヨン【 74式戦車 】総集編! 秘蔵映像も大公開!! 《当チャンネル史上最長 27分映像》

Title: Thank you Type74 tank!! In March 2024, the curtain came down on half a century of history.
Shooting date: 2018~2022
Picture taken at: Oita Prefecture
Category: Japan Ground Self-Defense Force

撮影日: 2018年~2022年
撮影場所: #日出生台演習場 他
カテゴリー: #陸上自衛隊


 『 #ありがとうナナヨン 』
 1974年 (昭和49年) 制式採用されて以降、日本の主力戦車として活躍してきました【 74式戦車 ( Type74 tank ) 】が、2024年 (令和6年) 3月をもって全機引退😣 半世紀に渡る歴史に幕をおろしました。

 今回公開致します映像は、私の撮影した【 74式戦車 】シーンを纏め、総集編 (前編) として編集しました♪
 普段アップしている動画は、5分~8分程度で視聴出来るよう映像を編集しておりますが … 今回は映像の長さを全く気にせず編集しました。 その結果、当チャンネル史上最も尺の長い "27分" 越えの映像となってしまいました😅

 今回の映像は、普段なら編集カットするシーンも【 74式戦車 】が映っているシーンは全て収録。 未公開映像も沢山加えておりますので、貴重な映像が見つかるかも✨ お時間有る時に…数回に分けてノンビリとご視聴下さい♪


 次週は『 ありがとうハチロク 総集編 』を公開予定♪

 『 ありがとうナナヨン 総集編 (後編) 』は、只今一生懸命編集中です ⇒ 近日公開予定



チャプター
00:00 オープニング
01:17 玖珠戦車道 (2018年7月撮影)
04:33 別府国際観光港 (2021年9月撮影)
14:28 別府国際観光港 (2021年10月撮影)
18:23 日出生台演習場 (2022年1月撮影)


【 #74式戦車 ( ななよんしきせんしゃ ) 】
英語: Type 74 tank
略称: 74TK・ ナナヨン
概要: 装備の完全国産化を目指し開発された戦後二代目の国産戦車。 同じ口径の砲をもつ【 16式機動戦闘車 】の採用など代替が進み、2024年3月末に全車が退役となった。



※下記は、関連記事より。
= 昭和の名戦車【 74式戦車 】ついに完全引退! 2024年3月をもって本州から戦車部隊が消滅 =
 3/31(日) 配信 MotorFan編集部

 生産台数約900両。ながく日本の主力戦車として活躍し、日本全土に配備されてきた74式戦車。 同戦車を配備されてきた戦車部隊の廃止にともない、半世紀にわたる役目を終える。 また、これにより本州から戦車そのものが消えることになった。

★ 戦後日本が世界と肩を並べた戦車 ★

 【 74式戦車 】は、戦後の国産戦車2代目であり、戦後はじめて同世代の諸外国の主力戦車と同等の性能を獲得した戦車であった。 日本は1961年に初の国産戦車として90mm砲を搭載した【 61式戦車 】を制式採用したが、1960年代には115mm砲を搭載したソ連の【 T-62 】や、105mm砲を搭載するドイツの【 レオパルト 】、アメリカの【 M60 】が登場しており、これらと比較したとき劣勢は否めなかった。

 1974年に制式採用された【 74式戦車 】は西側標準の105mm砲を備え、当時としては最先端のレーザー測距儀と、アナログ式の弾道計算コンピューターを搭載した優れた近代戦車となった。 これにより、日本はようやく敵戦車と正面から戦う打撃力を得たのだ。

 打撃力だけでなく、機動力という点も【 74式戦車 】は日本が求める性能を有していた。 エンジン出力は【 61式戦車 】の570馬力から720馬力に向上し、最高速度は53km/hとなった。 エンジンは変速・操行装置と一体になった「 パワーパック 」化を実現したことで、整備性を向上させた。 また、油気圧サスペンションにより起伏のある場所で姿勢を安定させ、待ち伏せ攻撃を可能とするなど、日本の地形とドクトリンに合致した設計がなされた点も評価が高い。

 そのため、ソ連の脅威に直面する北海道のみならず、日本全国の戦車部隊に広く配備され、総生産数は八七三両に達する。 これは戦後日本の戦車としては断トツ1位の生産台数である。 そのため、駐屯地の記念行事で目にする機会が多く、多くの自衛隊ファンに親しまれることにもつながった。 また、空包を扱えるようになったことで、これら記念行事では迫力ある射撃を披露する機会も多く、丸く愛嬌のあるシルエットとともに、多くの人に愛された。

★ 最後に残された3つの戦車部隊 ★

 陸上自衛隊は冷戦期に1000両を超える戦車を保有していたが、その後は削減に転じ、現在は定数300両という目標が示されている。 また今後、戦車は北海道と九州に集中配備する計画であり、本州の師団・旅団に属していた戦車大隊・中隊がつぎつぎと廃止されている。

 これら本州の戦車大隊・中隊に配備されていたのは、そのほとんどが【 74式戦車 】であり、部隊の廃止にともない近年は年間30~40両のペースで退役が進んでいた。 そして、最後に残された本州配備の3つの74式戦車部隊――第9戦車大隊(岩手駐屯地)、第10戦車大隊(今津駐屯地)、第13戦車中隊(日本原駐屯地)が、この3月をもって廃止されたことで、【 74式戦車 】は完全に引退した。

★ 自衛隊最大の火砲【 203mm自走榴弾砲 】も引退 ★

 この3月で引退する装備は、もうひとつある。 陸上自衛隊の最大火砲である【 203mm自走榴弾砲 】だ。もともとアメリカで開発されたもので、日本では1983年からライセンス生産によって調達され、一部の方面隊直轄野戦特科部隊へと配備が進められた。 1発90kg近い巨大な砲弾を撃ち出すため、毎年行なわれる総合火力演習では、遠目に見ても【 155mm砲弾 】との威力の違いがわかるほどだった。

 砲が巨大すぎるため、履帯式の車体に砲がむき出しで搭載されており、移動時は操作を担当する隊員たちもオープンカー状態で乗車する(ドライバーだけは車内に乗っている)。 砲弾を格納するスペースが無いため、主に87式砲側弾薬車が追従して供給する。 弾薬車にはクレーンやガイドレールが備わっており、重い砲弾を動かす手間を最低限に抑えている。

 アメリカ軍ではすでに運用が終了しており、陸上自衛隊でも北部方面隊の第104特科大隊を残すのみとなっていたが、本年3月で部隊が廃止され、【 203mm自走榴弾砲 】もすべて退役となった。 冷戦期に、圧倒的な戦車・火砲を誇るソ連軍と戦うために存在した2つの装備の引退は、時代の変化を象徴する出来事とも言えるのではないだろうか。





#玖珠戦車道 #別府国際観光港 #別府港 #ナナヨン

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