18 自我と物体と時間の作られ方

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ぼくたち自らが、自我があることおよび自己責任を欲して、実際にぼくたちが得をしている、あるいはしあわせになっているかというと甚だ疑問です。というのが、自分の成功を望むというのには、おおいなる矛盾があるからですね。自分の成功を求めようとすると、どうしても自分の失敗を嫌がるようになります。まあ嫌がるくらいならいいんじゃないかと思われるかもしれませんが、なりたいものがあるということは、なりたくないものがあるということで、なりたいものというのは将来の自我の姿あるいはそれを取り巻く状況で、現在の自分や自分が置かれた状況はつねに受け入れがたいものといった風になるんですね。

では、いま流行りの断捨離のように、なりたいといった願望をなくせばいいということになるんでしょうけど、これがむずかしいというのが、まず世界というのが物理的かつ時間的に存在していると、必然的にそこに含まれる自分というのも物理的かつ時間的に存在してしまって、そうするとどうしても自分というのを、そういった構図で捉えざるをえなくなるんですね。つまり、過去の自分、現在の自分、将来の自分といった風にですね。そうすると、やっぱり、将来の自分といったものや将来の世界というのが気になります。なぜなら、過去と現在は変えられないけど、将来は変えうるというのがあったりするからです。要するに、「世界というのが物理的かつ時間的に存在している」というのを受けいれた時点で、常に、受け入れがたい自分と受け入れがたい状況の下で生きているというのが決定しているんですね。

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こんにちは。私は田口達三といいます。大学で哲学を勉強して(カナダのビクトリア大学です)以来、ずっと哲学を勉強してきました。特にニーチェさんがすきで、竹田青嗣先生の『ニーチェ入門』を英訳したりもしました(アマゾンキンドルで発売中です)。ぜんぜん売れていないみたいなんですが、じつはこれ、ぼくが何か哲学のことに関する文章をこどもに残せたらなと考えた結果、こどもに伝えたい最善の文章というのが竹田先生のこの本であり、ニーチェさんというひとのことだったんですね。ぜひぜひお読みになられてください。とは言っても、ほとんどのひとは、「日本語で書かれた原文を読めばいいんじゃないか」という感じでしょうね。でも、もし、外国人とニーチェさんの話を含めた哲学的あるいはちょっと深い、たとえば人生についてとか、世界の在り方についての話を英語でできるようになるのもわるくないなと思われたら、この本にはそのための語彙や文例がたくさんあるので、お役に立てるのではと思います。

哲学というとなんかややこしそうな話に聴こえるかもしれません。デカルトさんの「我思う、故に我在り」とかカントさんの「物自体」とか、いったい何のことなんだかとか見当がつかないとか、ちょっと調べてみても、何のためにそういうことを考えないといけないのかぜんぜんわからないとか、まあたしかにややこしいと言えばややこしいですね。でも、それは逆に言うと、人生あるいは現実というもの自体もややこしいからで、そういうややこしいことをきちんと要約し、把握して行こうねというのが哲学の役目かなと思います。

ややこしいことを、ややこしいままにしておくと、整理整頓のできていない街やお部屋が住みにくくなるように、人生も現実も輪をかけてややこしくなって行きます。ぼくのこの談義がすこしでもみなさまの人生や現実の整理整頓のお役に立てればさいわいです。よろしくおつきあいくださいませ。

テキストは以下のサイトに掲載しています。ご参考まで。
https://tatsuzotaguchi.wordpress.com/...

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もしまちがいやご不明な点がありましたら、ユーチューブのコメントは停止しているんですが、このオリジナルのテキストを掲載しているWORDPRESSのぼくのブログサイトではコメントが可能です。お手数ですが、そこからご質問くださいませ。

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