「プロ2年目の飛躍 ヤクルト内山壮真選手の原点」2022.11.1放送

Описание к видео 「プロ2年目の飛躍 ヤクルト内山壮真選手の原点」2022.11.1放送

東京ヤクルトスワローズ、内山壮真(うちやま・そうま)選手。
プロ2年目で開幕1軍のチャンスをつかむと、1軍に定着し、日本シリーズの大舞台も経験しました。厳しいプロの世界に挑む、20歳の原点を追いました。

(星稜中3年当時の内山壮真選手)
「近所の友達が年上なんですけど野球をやっていて、毎日、遊んだりしていて、お兄ちゃんが、野球をやっていたので、それで一緒に野球やりたいなと思ってやりました。小学3年生から野球をやり始めました」

5年前に取材した、当時、星稜中学校3年の内山壮真選手。
出身地は富山県上市町。地元の少年野球チームを経て、より高いレベルを求めて片道2時間をかけて星稜中学校まで通うことを選びました。身体能力は高く、すでに遠投は120メートルに達していました。

1、2年生のときは主にショート、3年生はキャッチャーとして活躍し、星稜中学校を二度の日本一に導きました。この頃からすでにプロ野球選手を意識していたようです。

(星稜中3年当時の内山選手)
「(目標とする選手は)松井秀喜選手とイチロー選手です。メジャーに行って活躍できる選手や、周りから親しまれるような、すごく応援されるような選手になりたいと思います」

星稜高校に入学したあとも、1年生のときから、ショートのレギュラーに抜擢され、攻守にわたって活躍。甲子園にも経験しました。

内山選手が在籍していた当時の星稜野球部監督さん。入学当初の内山選手の印象をこう語ります。

(星稜高校野球部 元監督 林和成さん)
「彼は入学した当初からプロ野球選手になりたいということは常々言っていましたので、ただ、最初、入学して見たときは、体格はそれほどでもなかったので、スケール感という意味では、一つ先輩の奥川とか山瀬を見たときの印象よりは(薄かった)。この子はどうやって伸ばしてあげればいいかなっていうのが第一に考えたところではありました」

高校2年生の夏は、4番ショートとして、甲子園準優勝も経験しました。

奥川投手や、キャッチャーの山瀬選手ら、3年生が抜け、新チームのキャプテンに就きました。
ポジションはショートから、キャッチャーに転向しました。

(星稜高校2年当時の内山選手)
「キャプテンもキャッチャーもして、4番(打者)で考えることが多いんですけど、一つ一つしっかり切り替えというところを大事にしながらやっています」

(星稜高校野球部 元監督 林和成さん)
「今、大型のキャッチャーはプロが望んでいなくて、小さい選手でも、ソフトバンクの甲斐選手であったりとか、小柄な選手でも十分、務められるというところでは、彼にキャッチャーとしてやった方がプロで生きていく道があるんじゃないかなというのが常々言っておりました。2年生になった新チームのときにキャッチャーやらしたのは、彼との面談もありながら、時間かけてやっていました」

2019年秋の北信越大会を制した星稜に、春の選抜大会出場決定の知らせが届きました。

(星稜高校2年当時の内山選手)
「夏の甲子園決勝戦で優勝できなかったので、悔しい思いもしていますし、期待に応えられなかったというのが自分自身すごい悔しい思いもしているので、次こそは石川県の皆さんの期待に応えられるように選抜優勝目指して頑張りたいなと思います」

しかし、選抜大会は、幻と消えました。新型コロナウイルスの感染者が国内で初めて確認された
2020年。緊急事態宣言や、学校の一斉休校などの強い措置が取られ、選抜大会は中止が決定。野球部の練習も4月から中止せざるを得ませんでした。

練習を再開できたのは、2カ月後の6月。その間、試合はもちろん、チーム練習はできず、各部員は自主トレーニングを続けてきました。内山選手には大学進学後のプロ入りを進めていた林さん。この日のプレーを見て、気持ちが変わったといいます。

(星稜高校野球部 元監督 林和成さん)
「6月のコロナ明けの初めての練習で2カ月ぶりに彼を見たときに、まず体が大きくなっていると、下半身や胴回りもひとサイズ大きくなっている。これは1人でだいぶトレーニングしたなという、跡も見えましたし、練習で一番目についたのは、スローイングが非常によくなっていたと彼のスローイングを見たときにこれはもうプロ野球選手になれるなと感じまして、その日の最後のミーティングで今まで大学って言ってたけど、プロ野球選手になれと。プロに行けとみんなの前で私は宣言しました」

2020年は、春の選抜大会や春の石川県大会が中止。そして夏は、甲子園大会と地方予選が中止となり、石川県高野連が主催する独自大会が開催されました。
新型コロナの感染拡大によって、かつて経験したことのないような困難に直面したのが、内山選手の代でした。

その年のプロ野球ドラフト会議。内山選手はヤクルトから3巡目で指名を受けました。

(星稜高校3年当時の内山選手)
「今まで高校生としてやってきたんですけど、いちプロ野球選手としてこれから野球を通じて仕事をするということで、すごく気が引き締まる思いです。自分の目標としては長い年数、プロ野球選手として活躍できるように、目標は40歳までしっかり現役として活躍できるような選手になりたいなと思います」

(星稜高校野球部 元監督 林和成さん)
「体は小さいですけど、日本シリーズでホームラン打ったように、小さい子どもたちに体が小さくても、プロ野球選手になってホームランを打てるんだぞというところですね。来年も小さな子どもたち、野球ファンに見せてくれる活躍を期待したいなと思います」

内山選手のふるさと、富山県上市町。地域の人たちも、内山の活躍に沸いています。

(富山県上市町出身 永井浩和さん)
「日本シリーズで3ランホームラン打って、すごい感激しましたね。キャッチャーなんですけど、キャッチャー以外のポジションも高校のときやっていたりしたので、できるだけ出場機会を増やしていただいて、たくさん活躍してもらえるような選手になってもらえるといいかなと思っています」

内山選手が、幼い頃を過ごした子ども園の人たちも。

(園長)「保育園のときからドッジボールをしてボールを職員が受けるじゃないですか。『痛っ』みたいな、すごい力だったんです。運動神経抜群だったんですよ」
(保育教諭)「リーダー的な感じでしたよね。みんなに優しくてお友達にも優しくて『みんなで一緒に遊ぼう』みたいな感じで集団遊びとか、運動遊びとか、中心的な存在でしたね。引っ張っていく感じで行事とかも。たぶん上市の子どもたち富山県の子どもたちみんなウッチーの姿を見て、あんなふうになりたいなと夢をもらっていると思うので、来年もスタメン出場たくさんしてもらって、子どもたちとか、富山県の人にたくさん素敵な姿を見せてもらいたいなって思います。活躍を期待しています」

富山県上市町から、星稜中、星稜高校、そしてプロ野球の世界で戦う。内山選手は来シーズン、どんな夢を見せてくれるのでしょうか。


https://www.hab.co.jp/news/
HABスーパーJチャンネル(ローカルニュース)
月~金 18:15~

HABニューススカッシュ
11:41~ / 20:54~

#HAB #北陸朝日放送

Комментарии

Информация по комментариям в разработке