【てつたま】60年前 尾道に私鉄があった! 急勾配でパワー不足 客が電車押す?   時空を超えた沿線紀行

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“てつたま”です。野川キャスターお願いします。

【野川キャスター】
「今回はてつたま史上初の企画、心にじわじわ響く”廃線跡巡り”です。みなさん、こんな鉄道あったんだという発見があると思いますよ。それでは…

【野川キャスター】
「JR尾道駅にやってまいりました。言わずと知れた観光地、尾道の表玄関でございますけれども。はい、こちら。『オノテツの車窓から~時空を旅する尾道鉄道 沿線紀行~』
実はこの尾道駅からかつて尾道鉄道という私鉄が出ていたんだそうでございます。こちらをガイドブックに巡ってみましょう」

尾道鉄道は尾道駅と当時の御調郡御調町の市駅を結ぶおよそ17キロメートルの路線でした。中国山地を横断し、島根県まで陰陽連絡を目指す壮大な構想もありましたが、資金不足で断念。今から60年前の1964年に廃線となりました。
尾道駅の北口にある市営駐輪場付近に駅のホームがあったそうです。

【野川キャスター】
「本を見るに、この辺りがちょうど尾道鉄道の尾道駅のあたりだったということなんですね。今ちょうど多分、この位の角度じゃないですかね?後ろのこの建物なんかを見ますと、これがおそらく今、我々の目の前にあるこの景色とそんなに違わないと思うんですが。
この辺り一帯が尾道鉄道のホームであったり、駅舎があったりと。まあ、いわゆる拠点であったんだろうなという」

線路は尾道駅から西へ300mほど進んだあたりで、北に進路を変え、現在の国道184号線の沿線に線路が敷かれていました。
まもなく廃線から60年がたとうとしていますが、今でも鉄路の痕跡が残っている場所があります。

【野川キャスター】
「栗原本通りを北上してきています。この辺りですね、ちょっと地元の方にお話を伺いましたら、線路の痕跡がこの辺りあるそうで。この石、これが線路脇の縁石だったという情報お聞きしましたよ。この奥行きのある駐車スペース。ここがそのまま尾道鉄道の線路。
で、ここで栗原本通りとクロスしていたということで、気になる痕跡があるんです。こちら。
このコンクリートの土台の上に、これがですね、踏切の痕跡だということなんですね。
ですからここで、クロスして栗原本通りと尾道鉄道の踏切がここにあったと」

さらにこの付近には、近くを流れる川へ人知れず橋台が残っていたり…また、かつて存在していた宮の前駅という駅名は、鉄道がなくなった今もバス停としてその名が残っています。
そして尾道鉄道は鉄道にとってかなりの勾配を上りながら、現在の山陽新幹線、新尾道駅の付近を通って三成を目指します。その道中には尾道鉄道にかかわる石碑がありました。

【野川キャスター】
「尾道鉄道の痕跡をたどる一つ大事なポイントがあります。『一寸まて でんしゃは こぬか』と。電車の事故があって、そこで亡くなってしまった方を慰霊するために作られた石碑だということなんですね。そして、この石碑の傍らですね、ちょっと関連しているかどうか断言はできませんけれども、お地蔵様がありますね。今でもこうしてお花を供えていらっしゃる方がいるんですね」

この事故からまもなく69年…尾道鉄道も廃線となり、付近を電車が通ることはなくなりました。
石碑は事故を今に伝え、お地蔵さまは子供たちの安全を願い、国道を見守っています。

【三成学区の歴史と自然を訪ねる会・八幡 晴男 事務局次長(77)・野川キャスター】
「こんにちは。お世話になります」「あー、こんにちは」

ここで、私を待ってくれていたのは生まれも育ちも三成という八幡さんです。
八幡さんは三成の歴史を紹介する市民グループに参加していて、尾道鉄道の拠点があった場所に看板を設置する活動もしています。

【三成学区の歴史と自然を訪ねる会・八幡 晴男 事務局次長・野川キャスター】
「尾道鉄道の歴史ということで、この辺りが史跡でいらっしゃるということですね」
「ちょうどね、この後ろが今の尾道鉄道の車庫と、最初は発電所だったんですが、変電所があって、まわりは全部田んぼでしたから。非常に設備としては当時私が子供の頃、憧れの施設があったんですよ」「車庫、工場があって、煙突もあったんですか?」「コンクリートの煙突がね、大きなのがありました。これはもう三成のシンボルでね。めちゃくちゃに大きかったですね」「尾道まで三成からどの位時間がかかりました?」「20分くらいですね。20分から25分。ただ出るときはね、勾配きついからね。当時の電車性能が悪いから。歩く位になるんですよ、満員になったら。ひどい時は、途中、電車止まってねえ、坂の勾配で。
途中降りて押したというのはある」「聞いたお話ですか?」「聞いた話。だけど、実際そうだった人にも、経験した先輩の話を聞いたことがあります」

八幡さんの少年時代、三成一帯には田んぼが広がり、田植えの季節ともなると、緑の田んぼの中を電車が走る、のどかな風景が広がっていたと言います。

【三成学区の歴史と自然を訪ねる会・八幡 晴男 事務局次長・野川キャスター】
「これが駅の後」「ここが三成駅」「これが線路通っていた道ですよ。ちょっと隣の家も駅の構内でね、この中で線路が4~5本通っていたんですよ」「いわゆる引き込みしたりしたりするので」「なるほど側線がこう何本かあって。ということは途中駅としては、規模は結構大きい駅だってんですね」「ええ。始発と三成とあの石畦。御調の市ね。4か所で一番大きかったんですよ」「あー、なるほど。大きいところは上り線下り線のホームあったんです」「あ、行き違いができたということですね」「そうそうそう」「1925年から走ってたということですけど。まああと来年でね、もし残っていれば百周年とういうことですけれども」「百年ですね。当時は駅長さんがね、マイク無いからね。電車来るたびに、『三成~。三成』って言っていたんですよ。その時にこの駅長さんはね、ちょっとアクセントがうまくないからね。『みなおり、みなおり』大きな声でゆっくり読むんですから」「みんな降りるようにという意味で『みなおり』と言っている風に聞こえたこともあると」「聞こえたらしい。電車も一時間に一本くらいですからね、地元の人は駅長さん一人ですよ。将棋とか碁の好きな人はね、遊びに行って。駅長室に入ってのどかだったんですけど、それ位、顔なじみになって、ストーブの上で焼き芋、焼きに行ったりね」「ストーブの上で焼き芋焼きに行ったり」「するめ焼いたり、そう言う様な事もできたんです」

春には藤井川沿いの桜の花見…初夏にはホタル見物にと、尾道市街から多くの人を運んだ尾道鉄道でしたが、車社会が進み、利用者も減少したことで開業からおよそ40年で幕を下ろすことになるのです。

【三成学区の歴史と自然を訪ねる会・八幡 晴男 事務局次長・野川キャスター】
「事前にいつまでに廃止になりますというね。そういうお世話になりましたというようなPRなしで、今日でやめますというような終わり方だったんです。もうなくなったのは非常に寂しかったですよね。私は最終便に乗ったんですがね、もう本当に涙が出るようなかったです。当時一番最終便を知らずに乗って、最終駅まで行って石畦まで行って折り返し帰ったんですよね。もうその時は運賃をタダにしてくれたんです、最後だったんで。本当にね、これ今日これで終わりかな?もう本当、涙が出る様なかったのは、しんみりと覚えてます」

※てつたま…てっちゃん野川のローカル魂

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