陽人の法話:大切な人との別れ

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先日、父方の祖母が亡くなりました。九十五歳でした。

祖母は、私が九歳の時に、夫である祖父を亡くしてからしばらくして、私の家族が住むすぐ近くの団地に引っ越してきました。私の両親が不在の時には、私はよく祖母の家に行き、ご飯を作ってもらっていました。いつもニコニコして、優しく頷きながら私の話を聞いてくれました。

私は、高校を出ると奈良の大学に行きましたので、会う機会が減っていきました。そんな頃、祖母は認知症になりました。大好きな祖母が、私や家族のことを認識できなくなっていってしまうことがすごくショックでした。祖母は、積極的に外に出ていくタイプの人ではないこともあり、引っ越してきてから新たな人間関係をほとんど作らず、普段、人と会ったり、会話したりするのは、ほぼ私たち家族とだけになっていきました。

私は、そのことが、祖母が認知症になってしまった大きな原因ではないかと感じました。都市部での生活は、便利さと引き換えに、人間関係がどんどん希薄になっているように思います。そのことがあり、私は大学での卒論のテーマを「地域コミュニティの創造」にしました。このテーマを学んでいったことによって、地域の中で、人と人との繋がりを作っていくような仕事がしたいと思うようになりました。そのことが結果的に、僧侶の道を選ぶ一番大きな理由になったのです。

十月に入り、両親から、施設でお世話になっている祖母が看取りの期間に入ったことを聞きました。私は、忙しさを言い訳に、もう何年も祖母に会っていませんでした。ちょうど十月に僧侶の研修会の講師を頼まれていて、東京に行く機会がありました。研修会を終えて、急いで祖母がいる特養老人ホームに両親と行きました。介護の専門家の幼馴染もついてきてくれました。祖母の部屋に入ると、食事の後で、祖母は寝ていました。私は、それでも顔を見られただけでも良かったと心から思いました。その時、私の幼馴染が言いました。

「せっかく孫が来ているのに、会わないなんてあり得ない。おばあちゃん!!おばーちゃーん!!起きて!あっ君が会いに来てくれたよ!ほら起きて!」とフロアにまで響くのではないかという大声で叫び始めました。私が、度肝を抜かれビックリして唖然としていると、祖母が目を覚ましてくれました。

「起きた!良かった。ほら、あっ君だよ。あっ君、おばあちゃんの手を握ってあげて!」
幼馴染に促されて私は、祖母の手を握りました。細くなった祖母の手。でも温かく、本当に愛おしい手でした。私が「おばあちゃん、あきおだよ。会いに来たよ。ごめんね。今まで全然会いに来られなくてごめんね。おばあちゃん、ありがとう。ありがとうね。」と、伝えました。祖母は笑ってくれ、そして手を握り返してくれました。それが本当に嬉しかったのです。

そして、激しい後悔の念が湧き上がってきました。今まで何度も東京出張がありました。その度に、会いに来ようと思えば会いに来られたのです。何故そうしなかったのかと、今更悔やむ気持ちが溢れてきました。心のどこかで認知症になってから、私を認識できない祖母と上手く会話もできない気がして、会いに行かなかったことを、激しく後悔しました。

自分のことを分かってくれるかどうかなんて大した問題ではなかったのです。ただ、顔を合わせて、手を握って、笑ってくれる。それだけで繋がりを感じ、こんなにも幸せな気持ちになれるのだと、心の底から思いました。生きてくれているだけで、どれだけ有難いことかを痛感しました。最初は驚きましたが、大声で祖母を起こしてくれた幼馴染のおかげで、最後に、かけがえのない祖母との時間を過ごすことができました。幼馴染に感謝を伝えました。

その数日後、祖母は静かに旅立ちました。祖母の遺言と両親の希望で、私が葬儀の導師を勤めることとなりました。東京は人口が多いため、火葬場の日程がなかなか取れず、亡くなってから五日後が葬儀の日と決まりました。なんとその前日の通夜の日が、またしても私の東京での講演の日と重なっておりました。私は、何もスケジュールを変更することなく、講演を終えて、通夜と葬儀を勤めることができました。そして、緊急事態宣言が解除され、感染者が減少した時期でもあり、久しぶりに家族全員が集まり、一緒に祖母を見送ることができました。祖母の優しさに包まれたような穏やかな見送りの時間となりました。

私の姉は、東京圏にいて、孫の中では祖母と一番多く会っていました。その姉が、「私の子供が生まれてから、おばあちゃんがだんだんと衰えていった。子供が成長に伴って、だんだんできることが増えていくのと反対に、おばあちゃんは、だんだんできないことが増えていった。」と話しているのを聞き、私の父は「おばあちゃんは、アルツハイマーになって、可哀想だと思っていたけれど、そうではないんだな。歳をとるにしたがって、できないことが増えていくのは、とても自然なことなんだな。自然な死を迎えられたので、おばあちゃんは幸せだったんだと思う。」と話していました。

後悔のない別れはない。人生は手遅れの繰り返しである。そのように法話で話してきた自分が、今回の祖母の死で、そのことを痛いほど感じました。でも通夜、葬儀を勤め、家族と一緒に手を合わす中で、祖母と対話することができました。そして、中陰のお勤めの日々の中で、少しずつ死を受けとめていっています。供養する中で、これからも感謝を伝え続けていきたいと思います。

【毎月、須磨寺にて法話をさせて頂いております】
毎月18日の10時からの護摩祈祷と写経会、20日と21日は11時半から奥の院にて、そして、21日は14時から護摩祈祷をさせて頂き、法話をさせて頂いております。

【須磨寺オフィシャルサイト】
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【須磨寺 不動護摩供のご紹介】
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■楽曲提供:小馬崎達也
Official site:http://www.mt8.ne.jp/~pangaea/
Youtube Channnel:   / pangaeamusicfarm  

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