【ただひたすら喜ぶこと】 (小林正観)

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1. 私たちが、身の回りにうれしい、楽しいことを起こしたいと思ったら、ただひたすら喜んで、うれしがって、幸せだ、ツイてると思うこと。 そうすると神は、人間を喜ばせたくてしょうがない存在なので、喜べば喜ぶほど、もっと喜ばせてくれる。 
2.しかし、してあげたにもかかわらず、何の感動も喜びもないと、「じゃあ、この分は喜ぶ人のところへ持っていこう」ということになります。 喜び方の達人に対して、この「神」という方が、その喜びの内容をグレードアップしたくなるようなのです。 《「喜ぶ人を喜ばす」のが神様の特性》 
◆「喜べば 喜び事が 喜んで 喜び連れて 喜びに来る」 という言葉がある。 たとえば、会社もそうだが、会社以外でもボランティアの組織に入っていて、そこの上司や同僚、日頃の運営など、文句ばかり言う人がいる。 昔の丁稚(でっち)奉公でもあるまいに、強制的にそこに居なければならない理由は一つもない。 文句をいうなら、辞めればいいのだ。 その文句を聞かされている周りの人はたまったものではない。 気分が悪くなる。 「喜ぶ」の真逆にある行為だからだ。 
◆「この会社(会)に入ってホントによかった。楽しいことが次々起こる」「うれしい、楽しい」と喜んでいる人を見ると、まわりの人は本当に気持ちがいい。 つまり、そういう人を見ると神様も喜ぶが、まわりにいる人も喜ぶ。 そして、その人をもっと喜ばせようと思う。 そんなに喜んでくれるなら、もっと喜んでもらうことをしよう、と。 どんな小さなことでも… ただひたすら喜ぶことができる人でありたい。

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