山腹にある廃村 文政10年(1827)の墓石も有り - 旧・那知合集落

Описание к видео 山腹にある廃村 文政10年(1827)の墓石も有り - 旧・那知合集落

※奈良県吉野郡十津川村那知合にある旧・那知合集落

旧那知合集落は、現在の那知合集落よりも170m標高が高い、420mに位置しています。
集落は急峻な斜面に築かれており、かつては旧那知合集落が中心地でした。
元来、大字那知合(那知合)には「下切、平、中切、峰切、浦地」という区画がありました。

1889年(明治22年)に十津川流域で起きた「十津川大水害」により、もと22軒あった旧那知合集落は潰滅しており、大字全体では水害後、34戸から7戸に減少しました。
水害後、1軒は峰切に移住し、その他の家は北海道(後の新十津川町)に入植。
明治23年、北海道(後の新十津川町)への入植に際し、峰切からも6軒が転出。
その後、10軒が転入してきましたが、昭和52年、過疎化のため峰切とともに全戸が移転しました。このとき、下切(現・那知合)に新たに多くの家屋が作られました。
当初は集落まで道路を敷設する計画がありましたが年配の人々は運転免許を持たないため恩恵が少なく、移転を決意しました。その後、十津川村が山林を買い取り、その資金で現・那知合にライフラインや公民館などが設置されました。

こうして時代が移りゆく中で、大字那知合は、下切、平のみの集落となり、「那知合集落」と呼ばれるようになりました。
因みに現地住民によると、「浦地・中切」周辺を上切、「下切(下地)・平」を下切と言っていたそうです。また本在には、水害以前は重王寺があり、その付近が昔の那知合の中心地だったそうです。
※『十津川採訪録』では「浦地」が中心地。

集落に関する最も古い記録では、平治元年(1159年)、和歌山の串本から塩崎(しおざき)氏が住みついたとされています。
塩崎氏(しおざきし)は、日本の氏族の一つ紀伊国潮岬を発祥とする津守系/桓武平氏系が多い。
氏神は峰切にある集落最上部に鎮座。加茂神社(通称「剣の宮」)

※昭和34年4戸28人
※地名「キレ」は、地形が区画区分された状態を指します。具体的には、田の区画や山の鞍部、谷間などの切れ目を意味します。

【神秘旅 - Mituki】サブチャンネル
   / @mysticaltravels  
【隠者の小屋】サブチャンネル
   / @hermit-hut  
【Instagram】
  / gods.travels  
X(旧Twitter)
  / godstravels  
Facebook
  / mikamoto.mituki  
Threads
https://www.threads.net/@Gods.Travels


00:00 那知合集落
01:38 集落について
05:16 集落まで進む
10:16 旧那知合集落
15:07 家屋
19:36 更に上に登る
22:38 小屋・農地跡
25:50 祠?
27:02 現在地
28:55 家屋
35:24 見てない場所へ
36:00 炭焼き窯跡
38:33 墓地
40:08 完結

Комментарии

Информация по комментариям в разработке