【朗読】萩原朔太郎 詩集「月に吠える」より 朗読・あべよしみ

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以前12回に分けてにアップした萩原朔太郎の詩集『月に吠える』の「序」と41編の詩を、一本にまとめました。
音量・音質にばらつきがありますことをお詫びします。

【もくじ】
00:00  『月に吠える』序
10:26 地面の底の病気の顔
    草の茎
    竹
    竹(みよすべての罪は)
14:06 すえたる菊
    亀
    笛 
    冬
16:24 天上縊死
    卵
    雲雀料理
    感傷の手
    山居
    笛
19:10 殺人事件
    盆景
    雲雀料理
    掌上の種
22:05 天景
    焦心
    かなしい遠景
    悲しい月夜
25:01 死
    危険な散歩
    酒精中毒者の死
27:31 干からびた犯罪
    蛙の死
28:46 ---くさった蛤---
    内部にいる人が畸形な病人に見える理由
    椅子
    春夜
32:01 麦畑の一隅にて
    陽春
33:44 ばくてりやの世界
    およぐひと
    ありあけ
    猫
    貝
37:11 くさった蛤
    春の実体
    贈物にそへて



『月に吠える』
(つきにほえる)は萩原朔太郎の詩集。朔太郎の処女詩集で54編の詩を収録、序文を北原白秋、跋文を室生犀星が書いている。1917年(大正6年)2月に刊行された。発売後まもなく、詩壇・文壇から激賞され、朔太郎の詩人としての名声を高めた。

萩原 朔太郎
(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。
1913年(大正2年)に北原白秋の雑誌『朱欒』に初めて「みちゆき」ほか五編の詩を発表、詩人として出発し、そこで室生犀星と知り合い、室生とは生涯の友となる。
1914年(大正3年)に東京生活を切り上げて帰郷。1915年(大正4年)には詩誌『卓上噴水』を創刊。「ゴンドラ洋楽会」を組織してマンドリンやギターを教授して前橋や高崎で演奏会を開催する。またこのころから教会に出入りし、神や信仰、罪などの問題に悩み始める。
1916年(大正5年)春頃から自宅で毎週一回の「詩と音楽の研究会」を開き、6月に室生犀星との2人雑誌『感情』を創刊。高度に成熟した散文詩や評論を発表し始め、1917年(大正6年)32歳で、第一詩集『月に吠える』を感情詩社と白日社共刊により自費出版で刊行。内容・形式共に従来の詩の概念を破り、口語象徴詩・叙情詩の新領域を開拓し、詩壇に確固たる地位を確立。森鷗外の絶賛を受けるなど、一躍詩壇の寵児となり、5月『文章世界』誌上において神秘主義・象徴主義論のきっかけをつくる論文を発表。『文章世界』1917年5月に「三木露風一派の詩を追放せよ」を発表した。
1918年(大正7年)『感情』に詩3編を発表したのち、前橋市でマンドリン倶楽部の演奏会を頻繁に開催し、前橋在住の詩人歌人たちと「文芸座談会」を設ける。1919年(大正8年)5月、上田稲子と結婚。6月、若山牧水来訪。詩人団体「詩話会」の委員となり、機関紙『日本詩人』の創刊と共にアフォリズム風の文章を初めて発表し始める。1922年(大正11年)に『新しき欲情』を刊行。『短歌雑誌』に発表した「現歌壇への公開状」をきっかけに歌壇人と論争になり、朔太郎は万葉の浪漫的抒情精神の復活を唱えた。
(ウィキペディアより)


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