本能寺の変・南蛮寺 織田信長公 ゆかりの地をたずねて(京都編)

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天正10年(1582年)6月2日早朝に明智光秀が奉納時に滞在していた織田信長を急襲、自刃に追い込んだ『本能寺の変』は日本史の中で最も事件のひとつです。その舞台を訪ねた映像です。
【本能寺跡】
本能寺跡には石碑や駒札が掲げられ往時を偲ぶことが出来ます。現在の通り名で東は西洞院通、西は油小路通り、南は錦小路通り、北は六角通りとなり
おおよそ、東西130m・南北270mの範囲に寺領が有ったと伝わります。
現在も本能寺町、元本能寺町、元本能寺南町など地名も残っております。
【南蛮寺跡】
信長によって布教を許可されたキリスト教、イエズス会は南蛮寺に礼拝堂などを建立し布教活動を行っておりました。蛸薬師通りの本能寺石碑よりを東に400mほどの場所にかつて存在しており、秀吉の宣教師追放令が1587年に発令され南蛮寺も取り壊されました。現在も駒札が掲げられています。
【本能寺】
京都市役所から御池通を挟んだ南側に広大な寺領があります。法華宗の大本山で正式な漢字は能の字部分が旧字となり、右側が『去』の字をあてております。5度の火災に見舞われ能の字、の右側にヒが縦に並ぶのを避けたといわれております。※所説有り
信長公の廟所をはじめ、信長公所持の太刀や肖像画など貴重な宝物なども保管展示(拝観有料)されています。境内や本堂、信長公の供養塔などは無料で参拝が行えます。また御朱印なども社務所にて発行されております。

本能寺の変 織田信長公ゆかりの地をたずねて(京都編)
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