藤原実資|藤原道長にも屈しなかった?!三条天皇が絶賛した小右記の作者【光る君へ】

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藤原実頼の養子で「賢人右府」と呼ばれた平安時代の公卿。
21歳から「小右記」を書き始め、藤原道長からの問いに答えるのに役立ちます。
故実に関する情報を渡す相手を選び、藤原伊周や藤原顕光の依頼は断りました。
藤原実資はその有能さから円融天皇と花山天皇の蔵人頭に就任。
円融法皇からは天皇の後見に指名されますが、摂政・藤原兼家へ配慮し穏便に断りました。
藤原彰子が一条天皇に入内した際には、藤原道長からの屏風に和歌を詠む依頼を拒否。
長徳の変では、検非違使別当として藤原伊周と藤原隆家を左遷します。
一条天皇が退位した後は、三条天皇が即位。
三条天皇は藤原妍子の父・藤原道長と対立し藤原実資を頼りました。
藤原娍子立后の日には儀式の遂行役を務め、三条天皇は絶賛。
藤原威子が皇后になった時、藤原道長の和歌を吟じ、この出来事が「小右記」に記されています。
刀伊の入寇では宮中の貴族たちの意見に反論し、藤原隆家に恩賞を与えることを主張。
藤原実資は生涯誰にでも公平な態度を曲げることはありませんでした・・・
藤原道長にも屈しなかった「賢人右府」、藤原実資の人生を一緒に見ていきましょう!

#大河ドラマ #光る君へ #紫式部

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