倍賞美津子、巨匠たちが愛した正直で真っ直ぐな性格 71年にアントニオ猪木と結婚、やがて離婚めぐり派手なゴシップを提供3コメント3件

Описание к видео 倍賞美津子、巨匠たちが愛した正直で真っ直ぐな性格 71年にアントニオ猪木と結婚、やがて離婚めぐり派手なゴシップを提供3コメント3件

【1万本を見た映画記者 極私的スター名鑑】

数多くの名作に出演した倍賞美津子は、サバサバした姉御肌のキャラクターがよく似合う。

【写真】息の合ったトークで出演作のヒットを約束した倍賞美津子、佐藤健、阿部寛ら

映画デビューは1967年、5歳上の姉、倍賞千恵子と共演し、異母姉妹を演じた「純情二重奏」だった。続いて勝新太郎に口説かれ、女郎役を好演した豪華キャストの「人斬り」(69年、五社英雄監督)で京都市民映画祭新人賞を受賞。

同年には森崎東監督のデビュー作「喜劇・女は度胸」(69年)に主演し森崎作品の常連になる。85年に同監督の傑作「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」で旅回りのストリッパーを好演。同年には神代辰巳監督の「恋文」にも主演し、映画各賞の主演女優賞を総ナメした。

世界配給された黒澤明監督の「影武者」(80年)は側室役、「夢」(90年)では少年の母親役だった。今村昌平監督とは特に縁が深く「復讐するは我にあり」(79年)で今村組のミューズになり、カンヌ国際映画祭で最高賞に輝く「楢山節考」(83年)や「うなぎ」(97年)など7作品に出演している。

私生活では71年にプロレスラーのアントニオ猪木と結婚。やがて離婚をめぐって派手なゴシップを提供した。

今村監督と親しかったこともあり、筆者は彼女に何度もインタビューしたが、監督が亡くなったときのことが忘れられない。

「今村監督には優しくも残酷にもなれる人間の深さを教わった。私は監督に成長させてもらったので、それが自分の自信にもなっていた。だから訃報を聞いて、もう立ち直れないと思うほどのショックをうけた」と言ってポロポロ涙を流すと、嗚咽が止まらなくなった。慰める言葉が見つからなかった。

そんな倍賞美津子の正直で真っすぐな性格が巨匠たちに愛された理由ではないかと思った。

■垣井道弘(かきい・みちひろ) 1946年、広島県三原市生まれ。明治大学文学部卒。週刊誌「女性自身」の記者を経て、映画評論家になる。著書に「MISHIMA」(飛鳥新社)、「今村昌平の製作現場」(講談社)、「ハリウッドの日本人」(文芸春秋)、「緒形拳を追いかけて」(ぴあ)などがある。

■倍賞美津子(ばいしょう・みつこ) 1946年11月22日生まれ、77歳。茨城県出身。

Комментарии

Информация по комментариям в разработке