[日本軍] 艦上攻撃機 天山 Nakajima B6N "Jill"

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日本ニュースより、大日本帝国海軍で使用されていた艦上攻撃機 天山、連合軍側コードネーム「Jill」の映像を抜粋しました。

 天山(てんざん)は、日本海軍が九七式艦上攻撃機の後継機として開発・実戦配備した艦上攻撃機。機体略号はB6N。設計・生産は中島飛行機。
 正式採用直前の1943年7月、開隊直後の第五三一航空隊にB6N1が初めて配備された。同年8月にB6N1は天山一一型として制式採用され、11月半ばに同隊の一一型12機がラバウルのカビエンに進出、第五八二航空隊に編入された。翌月の第6次ブーゲンビル島沖航空戦に初めて実戦投入され、一一型6機が九七式艦攻5機と共に米機動艦隊に対して夜間雷撃を行い、第五八二航空隊艦爆隊、陸攻隊と共同で空母3隻、戦艦及び重巡各1隻撃沈といった戦果を報じている。この戦果により天山を開発した中島飛行機は海軍から表彰されたが、米海軍の記録によるとこの戦闘における沈没艦はなく、現在ではほとんどが夜間故の誤認と考えられている。1944年2月17~18日のトラック島空襲後の索敵や同年6~7月のマリアナ諸島攻防戦にも投入されたが、これといった戦果を挙げることはできなかった。
 マリアナ諸島攻防戦、台湾沖航空戦、フィリピン攻防戦と立て続けに生起する激戦により、母艦航空隊は壊滅、基地航空隊も大きく消耗したため、少数機での夜間または薄暮、黎明時の雷撃が陸攻・艦攻の主な対艦攻撃法となっていく。九州沖航空戦や沖縄戦(菊水作戦)では、鹿屋等の九州南部の基地から沖縄周辺に展開する米機動艦隊や輸送船団などに対して新装備の機上電探を活用した夜間雷撃を行っているが、F6F-5Nナイトヘルキャットの迎撃や対空砲火に阻まれ、大きな戦果を挙げることは出来なかった。しかし、終戦の3日前の1945年8月12日の夜半、九州・鹿児島県の串良基地から出撃した第五航空艦隊麾下の第九三一航空隊攻撃第二五一飛行隊所属の天山隊4機が沖縄の中城湾に停泊していたペンシルベニアを夜間雷撃で大破させている。
 また、フィリピン攻防戦や硫黄島の戦い、沖縄戦では、零戦や彗星よりは少ないものの、特攻にも投入されている。1945年2月21日に第三航空艦隊麾下の第六〇一航空隊所属の天山8機(雷装4機、爆装4機。途中で2機脱落)が第二御楯特別攻撃隊(他に零戦9機(直援)、彗星12機)として香取基地を出撃、八丈島を経由して硫黄島沖の米艦隊を攻撃、天山隊の爆撃と体当たり攻撃によりサラトガと輸送船を大破させている。
 1944年夏から海軍は生産機種の絞り込みを計画し始め、1945年1月に彩雲を単発攻撃機及び夜間戦闘機兼用機とし、天山を生産中止とすることに決定した。この決定に従って彩雲の攻撃機及び夜間戦闘機改修工事が行われているが、B-29による爆撃等のため生産を切り替えることは出来ず、終戦まで天山の生産が継続されている。終戦時の残存数は187機。(wikiより抜粋)

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