津波がくるぞお(1960年チリ地震津波)

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■シーン:気仙沼湾
(ナレーションなし)
映像中の撮影者の氏名に漢字の誤りがありましたので、ここに修正を掲載いたします。
18~30秒ごろ:(正しくは)撮影 奥田 信郎氏

■シーン:岩手県大船渡市
全国の死者129人。内、宮城・岩手の両県だけで105人の犠牲者を出している。
津波の高さ5.6メートル、大船渡市の死者53人、家屋の被害1480戸。
線路が飴のように曲がった陸前高田市米崎地区。
国鉄大船渡線の全面開通には1ヶ月を要した。水浸しになった大船渡電報電話局ではぎりぎりまで電話交換業務に当たった。津波が引いた後、復旧の見込みがない駅構内は潮水をかぶった畳の干し場にもなった。

■シーン:志津川町
また、志津川町では5.5メートルの大津波が襲った。
市街地の大部分を壊滅させ、死者41人、家屋の被害1327戸、52億円の被害をもたらした。

■シーン:気仙沼湾
このチリ地震津波は日本近海の津波と異なる3つの特性を示した。
1つには、三陸津波はおよそ20分前後の周期で第1波、2波と押し寄せたが、チリ津波の周期は50分前後と長かった。2つめは明治29年の津波は、一気に押し寄せあっという間にすべてを飲みつくして、1,2時間で海は何事もなかったように元に返ったが、チリ地震津波は早朝から夕方まで延々と荒れ狂った。
3つ目は、袋状になった湾の奥になるほど波が高くなり被害を大きくした。
異常な引き潮を発見し、消防車は警報を告げて回ったが、揺れがなかったことから津波は来ないと信じて逃げなかったことが被害を大きくした。

■シーン:詩
あの日、あの朝、あの時の津波。家を壊し、道をうずめ、尊い命までうばった、あの津波。
天災でなかったら思いきりなぐってやりたいのに。 
志津川中学校3年

この動画は2004年に津波ディジタルライブラリィで公開していたものを、YouTubeでも公開したものです。
津波ディジタルライブラリィ: http://tsunami-dl.jp

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