舞楽「青海波」Bugaku Seigaiha, Gagaku

Описание к видео 舞楽「青海波」Bugaku Seigaiha, Gagaku

第29回博雅会大阪公演 ~古典文学と雅楽~
2017年5月12日(金)大阪市立阿倍野区民センターにて収録
左舞「青海波」盤渉調調子・青海波・延輪台

00:06 盤渉調調子
02:24 青海波(当曲)
14:12 延輪台

Seigaiha (Hiramai, Bugaku performace of the left, Tōgaku)
I. Bamshikichō Chōshi (00:06)
II. Seigaiha (tōkyoku) (02:24)
III. Noberimdai (14:12)

Hakugakai Gagaku Ensemble : Activities in Japan centering on Osaka
Rec. 12 May Heisei 29 (2017) Live

About “Seigaiha”
Literally, Seigaiha is a pattern of “waves of the blue ocean” which originates from a pattern in the dress of Dance Seigaiha. Dance Seigaiha had been transmitted to the court music “GAGAKU” of Japan, is especially famous. It is a very graceful dance in which two players dance with their sleeve waving, and is well known for appearing in the scene of Momiji-no-Ga (The Royal Excursion; The celebration of fall leaves) in "Genji Monogatari" (The Tale of Genji). Momiji-no-Ga is the 7th in the long series making up this novel(all fifty-four chapters). The Emperor Kiritsubo holds the Momiji-no-Ga to celebrate the Retired Emperor's(Suzaku) birthday, Genji performs a dance. The Emperor stages a rehearsal of the dances, allowing his consorts Fujitsubo to view both Genji and his rival To-no-Chujo at their youthful peak of skill and charm. Dancing the Seigaiha play, Genji turned his eyes upon Fujitsubo sitting behind a reed screen, while she saw Genji's beautiful face, forgetting her sin for only an instant. Fujitsubo is pregnant with the child who will be her and Genji’s lifelong secret. Genji is still eighteen.

青海波の舞楽は源氏物語の第七帖「紅葉賀」に登場します。

源氏物語 「紅葉賀」 原文
朱雀院の行幸は、神無月の十日あまりなり。世の常ならず、おもしろかるべきたびのことなりければ、 御方々、物見たまはぬことを口惜しがりたまふ。主上も、藤壺の見たまはざらむを、飽かず思さるれば、試楽を御前にて、せさせたまふ。
源氏中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。片手には大殿の頭中将。容貌かたち、用意、人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。
入り方の日かげ、さやかにさしたるに、楽の声まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏み、おももち、世に見えぬさまなり。詠などしたまへるは、「これや、仏の御迦陵頻伽の声ならむ」と聞こゆ。おもしろくあはれなるに、帝、涙を拭ひたまひ、上達部、親王たちも、みな泣きたまひぬ。詠はてて、袖うちなほしたまへるに、待ちとりたる楽のにぎははしきに、顔の色あひまさりて、常よりも光ると見えたまふ。
春宮の女御、かくめでたきにつけても、ただならず思して、「神など、空にめでつべき容貌かな。うたてゆゆし」とのたまふを、若き女房などは、心憂しと耳とどめけり。藤壺は、「おほけなき心のなからましかば、ましてめでたく見えまし」と思すに、夢の心地なむしたまひける。

語釈
行幸(みゆき):朱雀院の邸宅で行われる50才の誕生日の式典への帝のお出かけのこと
朱雀院(すざくいん):桐壺帝の父親である上皇陛下、一の院
神無月(かんなづき):旧暦10月
試楽(しがく):舞楽の予行演習
頭中将(とうのちゅうじょう):公家官職の一つだが、ここでは左大臣の長男として登場人物名として使用されている。源氏のよきライバル
深山木(みやまぎ):頭中将も素晴らしい男性だが、源氏と並ぶと美しく咲いた桜の花の横に生えている誰も気にとめないつまらない深山の木でしかない。
迦陵頻伽(かりょうびんが):極楽浄土に棲む鳥で、人頭鳥身の姿をしています。その名は「美しい音」を意味し、仏に次ぐと言われる美声で歌い、楽器を奏でながら宙を舞って極楽浄土の魂たちを慰める。
春宮の女御(とうぐうのにょうご):弘徽殿女御(桐壺帝の第1夫人)


与謝野晶子の現代語訳(青空文庫)
朱雀院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏はことに選りすぐって行なわれるという評判であったから、後宮の人々はそれが御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。帝も藤壺の女御にお見せになることのできないことを遺憾に思召して、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。
 源氏の中将は青海波を舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭中将だった。人よりはすぐれた風采のこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣った深山木というより言い方がない。夕方前のさっと明るくなった日光のもとで青海波は舞われたのである。地をする音楽もことに冴さえて聞こえた。同じ舞ながらも面おもてづかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わって袖が下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手の頬が染まって常よりもまた光る君と見えた。東宮の母君の女御は舞い手の美しさを認識しながらも心が平らかでなかったのである。藤壺の宮は自分にやましい心がなかったらまして美しく見える舞であろうと見ながらも夢のような気があそばされた。

紅葉賀の前半のあらすじ(Wikipediaを改変)
「紅葉賀」(もみじのが)は、源氏物語全五十四帖の第7帖。主人公光源氏の18歳の秋から19歳の秋までの1年の出来事を描いた巻である。
世間は朱雀院で開かれる紅葉賀に向けての準備でかまびすしい。桐壺帝は最愛の藤壺が懐妊した喜びに酔いしれ、一の院である上皇朱雀院の五十歳の誕生日の式典の慶事「紅葉賀」をより盛大なものにしようと源氏と頭中将に舞楽で競わせることにしたのだ。臣下たちも舞楽の準備で浮き立っている。ところが、それほどまでに望まれていた藤壺の子は桐壺帝の御子ではなく、その最愛の息子光源氏の子であった。このことが右大臣側の勢力、特に東宮(源氏の異母兄)の母で藤壺のライバル、また源氏の母を迫害した張本人である弘徽殿女御に発覚したら二人の破滅は確実なのだが、若い源氏は向こう見ずにも藤壺に手紙を送り、また親しい女官を通して面会を求め続けていた。
一方で、藤壺は立后を控え狂喜する帝の姿に罪悪感を覚えながらも、一人秘密を抱えとおす決意をし、源氏との一切の交流を持とうとしない。源氏はそのため華やかな式典で舞を披露することになっても浮かない顔のままで、唯一の慰めは北山から引き取ってきた藤壺の姪に当たる少女若紫(後の紫の上)の無邪気に人形遊びなどをする姿であった。
帝は式典に参加できない藤壺のために、特別に手の込んだ試楽(リハーサル)を宮中で催すことに決める。源氏は青海波の舞を舞いながら御簾の奥の藤壺へ視線を送り、藤壺も一瞬罪の意識を離れて源氏の美貌を認める。源氏を憎む弘徽殿女御は、舞を見て「まことに神が愛でて、さらわれそうな美しさだこと。おお怖い。」と皮肉り、同席していたほかの女房などは「なんて意地の悪いことを」と噂する。紅葉の中見事に舞を終えた翌日、源氏はそれとは解らぬように藤壺に文を送ったところ、思いがけず返事が届き胸を躍らせた。五十の賀の後、源氏は正三位に。頭中将は正四位下に叙位される。この褒美に弘徽殿女御は「偏愛がすぎる」と不満を露わにし、東宮に窘められる。
翌年二月、藤壺は無事男御子(後の冷泉帝)を出産。桐壺帝は最愛の源氏にそっくりな美しい皇子を再び得て喜んだが、それを見る源氏と藤壺は内心罪の意識に苛まれるのだった。

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